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兎を追っかけるときは一羽ずつ

それでいい、二兎は追うな。
『カワイイもの好きな人々。』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月3日の言葉

あれもこれも欲しがってしまう僕としては、二兎も三兎も追いたいところなんだけど、一度に追えるのは、どうしたって一兎だけなので、まずは目の前の一兎ずつ。だからといって、二兎目・三兎目をあきらめるわけではないので。それでいいのだな。

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翻訳の心得

高校の担任(男)は、英語の先生で、ビートルズを心から愛していました。
副教材にビートルズの歌詞カードを使ったくらい。
歌詞を直訳すると、
「きみたちはジョンの心がわかっていない」とか、
「ポールの気持ちになって考えて」と言われました。
ほぼ日デリバリー版・学生生活より>
ほぼ日手帳2006 – 6月2日の言葉

学生のときの話。
割と英語が得意なほうだった僕は、英語の単位を落としそうな友達の課題を手伝ったことがある。(というか、かわりにやった。)その課題というのが英語のテキストの大量翻訳という意味がなさそうで今思うと意味のある課題だった。僕は個人的に「直訳」するのが好きじゃなくて、その文章の意味がより伝わるように少しドラマチック(?)な感じに翻訳した。セリフなんかは特により分かりやすい(であろう)口語にして。
友達は僕の翻訳内容を読んで、少しひきながら、そのまま提出したらしいが、課題の出来をほめられ無事に単位を取ることができた。
そんな学生時代の淡い思い出を今日の言葉から思い出したわけだが、そんなわけで、「直訳」するというのは翻訳するに辺り一番無難だけど、それだけでは無味乾燥な文章になってしまい時には意味や意図が全く伝わらなくなってしまうもので、日本語ならこういうだろう、とか、この人の言いたい事はこういうことだろうっていうのを深く考えたながら翻訳することが求められるわけで、そんなことを考えている僕なら、しかもビートルズ好きの僕なら、この先生の注文に100%応えれたはず。
いや、どうでもいいんだけど。

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ズレを生み出す脳トレーニング

おもしろいこと、笑えること、ナイスなアイデアは、
基本的に「考え方の飛躍やズレ」から生まれます。
飛躍は、階段をのぼることとは違うわけで、
常識や、時には論理さえも超えたところに着地するから
飛躍なのだと思うのです。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月1日の言葉

「考え方の飛躍やズレ」を生み出すには、常にたくさんの情報に触れ、自分の考えをアウトプットして整理しておくことが大切かなと。つまりインプット+アウトプットを繰り返すこと。そうやって脳みそを活性化しておくことで、あるとき、思いがけないところへ着地しちゃったり。

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放置派

ある日の会議。
「これ、もうすこしスマートなやりかたでできないの?」
「いや、ここまできたら、手で一件一件つぶしてゆくような、
 バタ臭いやりかたしかないんですよ」
「うーん、それにしてもなあ」
「でもバタ臭いやり方が結局いちばん早く終わったりするんですよ」
泥・・・では?
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月31日の言葉

バタくさいやり方はまずいべ。
ところで、話している相手がこういう言いまつがいをしちゃってるときに、どういうタイミングで伝えるか、あるいは伝えないで放置しておくか、相手によりけりだけど、割と微妙だったりする。
僕はどっちかっていうと、放置派。よっぽど意味や意図が激しくズレていないうちは、ね。

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スキマ時間にやることリスト

(取材が中止になって)
へー、まじで? なんでなんで?
ふーんそうなの。
そうかそうか! とりあえず朝飯を食おう!
『田島貴男の2004年オレの5大ニュース(予定)。』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月30日の言葉

何か予定していたことが中止や延期になったりしたときに、どう気持ちを切り替えることができるか、すぐに他のことに取り掛かることができるか、これは、生産性を向上する上で結構重要な部分かと思ったり。
ひとつのアイデアとして個人的に意識&実践しているのが、「空き時間」(ハヤリの言葉でいうと「スキマ時間」)にやることリストを作っておくというもの。例えば、何かを調べなきゃなあ、と思ってなかなか手がつかないものなんかもこのリストに放り込んである。調べ物のなかには短時間で答えが見つかるものが意外に多かったりするので。こういったリストを持っているだけで、頭のモヤモヤ感はかなりスッキリする。お勧め。
あと、スキマ時間に本を読んだり、考えをまとめたり、っていうのも効果的なので、本や雑誌&メモ・ペンは常時ケータイはもう当たり前。
ちなみに今常時している本はコレ。今日書いた内容もかなり影響受けてます。ハイ。

ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則
デビッド アレン David Allen 田口 元
二見書房 (2006/05)

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がんばりエンジン

やっぱり、がんばってないよりがんばってるほうがいいでしょ。
ただ、バランスよくがんばればいいのに、
ぼくはがんばりすぎるんですよね、きっと。
しかも、ぼくは、陰でがんばるから、
途中で誰も止められないんですよね。
<山本耕史さんが『土方歳三、かく語りき。』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 5月29日の言葉

僕の場合、がんばりすぎるくらいが丁度いいかも。普段が激しくダラケモノなので、「やるぞ」って思ったら人よりがんばりすぎるくらいのことをしないと、エンジンがかからない。ただいきなりアクセルを開けるもんで、すぐにオーバーヒートしてしまうことも少なからずあったりする。かといって、徐々にアクセル開けていくと、プスンってエンストしたりするし。んー、この辺りの「がんばりエンジン」捌きは意外と微妙。がんばる対象によっても捌き方が変わってくるもんだし。
まあ、こんな風に微妙だから面白いってのも実際あるんだけども。自分の感情や身体なのに捌き方が難しいっていうのは、とっても不思議で、だからこそ生きていくのは面白い、って思うのは僕だけかしら。

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結果としてそう言われるなら

「自分がだれかと仕事をしたら
 『次もあいつと仕事がしたい』
 と言わせよう」
というのがモットーだったんです。
<任天堂社長・岩田聡さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 5月28日の言葉

あんまりこういうことを意識して仕事をしたことはない、僕の場合。ただそう言われて嬉しくないわけはないので。というか、かなり嬉しい。今勤めている会社に入ったキッカケも、以前に一緒に働いていた仲間に誘われてのコトで、そういうのはやっぱり嬉しいし、ありがたいことだな、と思う。ただ、これからもそれ自体を意識して仕事をするってことはないんだろうな、と個人的には思う。何となくだけど、それを意識して仕事するのはどうなんだろ?って思うとこもあるので。ホント何となくだけど。

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ガーザー

場所の説明をする擬音として、主人の母は「ずどーん」を使います。
「この道を、ずどーんと行ってなぁ、
 シグナル(なぜか信号とは言いません)をずどーんと曲がって・・・」
どういけばいいのかまったくわかりません・・・。
でも主人の母なので、突っ込むこともできず、
力なく、微笑んでいるわたしです。
『ほぼ日デリバリー版・お母さん』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月27日の言葉

このお母さんの擬音は解読に苦しむけど、ときに擬音はそれだけで感情や状況を伝えることもできる。
「ガーッとやっちゃって!ガーッと!」
「はい!じゃあ、今日中にガーッやっておきます!」
「資料読んだ?」
「はい。ザーッと読みました。」
ガーもザーも、それだけでは意味不明だけど、こんな感じの会話を大抵の人がしたことあるのでは。
というか、今気付いたんだけど、最近自分がこのガーとかザーを良く使ってる気がする。あんまり使いすぎると語彙が少なくてアホっぽい「ガーザー星人」になるので、少し控えることにしよう。

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(仮)

「カッコカリ((仮))」って、
カタカナで見ると、
『ブロッコリー』みたいね。
『ぼーっとしたミーハー通信。』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月26日の言葉

そういや、「カッコカリ(仮)」っていう表現は何かと便利。最近のWebサービス等で良く見られる「β(ベータ)版」と通ずるものがあるかと。ベータ版っていうのは、「このサービスはまだまだ未完成で発展途上。進化していきますよ。」っていう意味が込めてある、ってどっかで読んだ。「カッコカリ(仮)」ってのも、いい意味で「まだ未完成ですよ」って宣言しているようなもので、まだ未完成な資料を人に見てもらって説明するときとかに便利。というか気が楽。何かダメ出しされても「いや、まだ途中の段階、叩き台ですんで。」なんて言い訳ができなくもないので。
そういえば、最近flickrがそれまでの「beta」から「gamma」にバージョンアップ(?)していた。色々と使いやすくなっている。
Alpha… Beta… Gamma – flickr blog
いつになったら「stable」版になるんだい?っていうツッコミを軽くスルーするような「gamma」へのバージョンアップ。個人的には、とても粋なネーミングかと。

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歴史は弱者によって作られる

これまでの地球上の生き物の歴史というのは、
まさしく「敗者たちの歴史」なんだよなぁ。
いつでも、次の世代というのは
ある時代に取るに足らない存在であった「弱者」によって
つくられていく。その繰り返しなんだよなぁ。
<ダーリンコラム「十字架というアイコンのすごみ」より>
ほぼ日手帳2006 – 5月25日の言葉

今回のダーリンコラムはとても興味深くて、奥深い。そして、ちょっと難しい。
ただ、「弱者」や「敗者」が歴史を作ってきた、っていうのには勇気がわくような気がする。

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