Tag Archives: ダーリンコラム

ていねいなことば

ぼくも、「ていねいでないことば」の魅力も知っているつもりだ。
しかし、やっぱり「ていねいなことば」を
いつもしっかりしゃべる人に対しては、自然と好感を持ってしまうようだ。
「ていねいなことは」は、どんなにおしゃれな服よりも、
身に着けている人をよく見せてくれる。
<ダーリンコラム「ていねいなことば」より>
ほぼ日手帳2006 – 8月21日の言葉

「ていねいなことば」を話す人は好きだし、そういうことばを使える人間になりたいと思う。「ていねいでないことば」を使う人もなかにはいて、そういう人と話してると気分が滅入ったりする。
ただ、「ことばのていねいさ」だけで、心がそこにこもっていない人もなかにはいる。逆に、ことばはていねいではないけれど、心がこもっている人もいる。こういうケースでも、不思議とそこに心がこもっているかどうか、分かってしまう。
心がこもっていなければ、どんなに素敵な「ていねいなことば」を身に付けていても、それ自体は意味をなさなくなってしまうということ。むしろ、心がこもっていないだけに、そのていねいさが余計に冷たく感じてしまったりもする。
心からのていねいなことば。そんなことばで話せるようになるには、ココロとコトバの両方を磨き上げる必要があって、そして、その二つを磨き上げることは、人間としてとても重要なことだと思うのだ。

Continue reading

のほほん

オレは、のほほんとするぞ!
<ダーリンコラム「のほほんとするぞ。」より>
ほぼ日手帳2006 – 8月10日の言葉

のほほんしすぎも、のほほんしなさすぎも、考えもの。
適度にのほほん。ただ自分には厳しくのほほん。
ん、よくわからなくなってきたのほほん。
いいや、のほほんとしよう。

Continue reading

瞑想イメージ

目を閉じると見える、美しい景色って、あなたは持っていますか?
そのイメージさえ準備できていれば、きっと慌てふためくようなことがあっても、
「待て、オレよ。落ち着け、ま、ここに座れ」と、
そのいちばん好きな景色のなかに入りこめるわけだ。
これはいいよなあ。
<ダーリンコラム「目を閉じて見える美しい景色」より>
ほぼ日手帳2006 – 7月30日の言葉

最近サボリ気味だけど、瞑想してるときは、美しい景色が見える。どんなイメージか言葉で説明するのは難しいけど、とにかく美しい。
仕事でストレスフルなときとかに、あの世界にいければ確かに落ち着きそうだ。落ち着きすぎて寝てしまうほどかも、だ。
瞑想、しっかりやって、あのイメージをもっと明確にしていこう。

Continue reading

人を認めるということ

欠点があるがままでも、いいことはできるし、
悪人でも人の役に立つことはできるし、
まちがってばかりいる人間が、
たったひとり正解を出すことだってある。
そういうことは、ぜんぶ、やっぱりほめるべきことだ。
<ダーリンコラム
 「活かす」より>
ほぼ日手帳2006 – 6月18日の言葉

とかく、人は人の悪い部分ばかりを見てしまい、一度悪い部分を見てしまうと、良い部分があったとしても認めようとしなかったりする。というか、認めることができない。切ない話だ。人は変わっていくのに。
人の良い部分を見ようとする意識。そしてそれを認める広い心。そうありたいもんです。

Continue reading

Only is not Lonely

Only is not Lonely.
みんなが本人として、生きる。
みんながほんとうは他人を理解しえないと知る。
だからこそ、親切は生まれる。
<ダーリンコラム
 「また、Only is not Lonely.のこと」より>
ほぼ日手帳2006 – 6月6日の言葉

“Only is not Lonely”は、ほぼ日刊イトイ新聞の根っこの言葉。とてもいい言葉です。
「Only」でいることは「Lonely」ではないのだ。
「Only」でいるからこそ、人の心を知ろうすることができるのだ。
Only is not Lonelyについて
また、Only is not Lonely.のこと

Continue reading

歴史は弱者によって作られる

これまでの地球上の生き物の歴史というのは、
まさしく「敗者たちの歴史」なんだよなぁ。
いつでも、次の世代というのは
ある時代に取るに足らない存在であった「弱者」によって
つくられていく。その繰り返しなんだよなぁ。
<ダーリンコラム「十字架というアイコンのすごみ」より>
ほぼ日手帳2006 – 5月25日の言葉

今回のダーリンコラムはとても興味深くて、奥深い。そして、ちょっと難しい。
ただ、「弱者」や「敗者」が歴史を作ってきた、っていうのには勇気がわくような気がする。

Continue reading

コトバ

心臓をどきどきさせることも、
徹底的にやる気をなくさせることも、
涙を止まらなくさせることも、
笑いを呼び込むことも、
クスリでは難しいことでも、コトバならできる。
<ダーリンコラム
 「ほんとにコトバはクスリだと思った」より>
ほぼ日手帳2006 – 5月12日の言葉

ブログのように文章になったコトバは、話し手の表情や声あるいは気持ちの調子が見えない分、読む人によって色々な捉え方がされる。読む人のそのときの調子によって、同じコトバでも違う影響を与えてしまうこともある。コレはもう、書いている側にはコントロールしきれないところだ。だからといって口は閉ざさず。アウトプットしたコトバがどんな捉え方をされようとも。素直に正直に、自分のコトバで、ブログを続けていくとしよう。

Continue reading