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「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツ

いちばん「これ、いいなぁ」と思ったのは、
ともだち同士で遊ぶときに「あいつ、呼ぼうぜ」
と言われる存在、というやつなんです。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 8月31日の言葉

「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツになるには、どうしたらよいんだろか。
というか多分、「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツは、そんなことは考えていない。
というわけで、深く考えず、今のままで、いいんだよ。

ていねいなことば

ぼくも、「ていねいでないことば」の魅力も知っているつもりだ。
しかし、やっぱり「ていねいなことば」を
いつもしっかりしゃべる人に対しては、自然と好感を持ってしまうようだ。
「ていねいなことは」は、どんなにおしゃれな服よりも、
身に着けている人をよく見せてくれる。
<ダーリンコラム「ていねいなことば」より>
ほぼ日手帳2006 – 8月21日の言葉

「ていねいなことば」を話す人は好きだし、そういうことばを使える人間になりたいと思う。「ていねいでないことば」を使う人もなかにはいて、そういう人と話してると気分が滅入ったりする。
ただ、「ことばのていねいさ」だけで、心がそこにこもっていない人もなかにはいる。逆に、ことばはていねいではないけれど、心がこもっている人もいる。こういうケースでも、不思議とそこに心がこもっているかどうか、分かってしまう。
心がこもっていなければ、どんなに素敵な「ていねいなことば」を身に付けていても、それ自体は意味をなさなくなってしまうということ。むしろ、心がこもっていないだけに、そのていねいさが余計に冷たく感じてしまったりもする。
心からのていねいなことば。そんなことばで話せるようになるには、ココロとコトバの両方を磨き上げる必要があって、そして、その二つを磨き上げることは、人間としてとても重要なことだと思うのだ。

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のほほん

オレは、のほほんとするぞ!
<ダーリンコラム「のほほんとするぞ。」より>
ほぼ日手帳2006 – 8月10日の言葉

のほほんしすぎも、のほほんしなさすぎも、考えもの。
適度にのほほん。ただ自分には厳しくのほほん。
ん、よくわからなくなってきたのほほん。
いいや、のほほんとしよう。

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知る、ということ

魔法なんだか、勉強なんだか、
もう、役に立つのかさえわからないところに、
「知る、ということの輝き」が、きっとある。
ぼくはそれを、実感しているんです。
<糸井重里さんが<『智慧の実を食べよう。学問は驚きだ。』
の中で>
ほぼ日手帳2006 – 8月1日の言葉

何かを知る・学ぶ、ということは人間としての喜びのひとつ。
「選択と集中が大切」とはよく言われることで、それ自体に異論をはさむ余地はないけれど、「何でも知りたい」と思う気持ちもまた大切。つまり赤ちゃんのような気持ちというか。見るもの聞くもの触るもの、全てが新しく日々知っていくこと・経験していくことが楽しくて仕方がないという本能に近い気持ち。
あーだこーだ言わず、おもしろそうだと思うことは何でもかんでも知ってしまえばいいのだ。

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瞑想イメージ

目を閉じると見える、美しい景色って、あなたは持っていますか?
そのイメージさえ準備できていれば、きっと慌てふためくようなことがあっても、
「待て、オレよ。落ち着け、ま、ここに座れ」と、
そのいちばん好きな景色のなかに入りこめるわけだ。
これはいいよなあ。
<ダーリンコラム「目を閉じて見える美しい景色」より>
ほぼ日手帳2006 – 7月30日の言葉

最近サボリ気味だけど、瞑想してるときは、美しい景色が見える。どんなイメージか言葉で説明するのは難しいけど、とにかく美しい。
仕事でストレスフルなときとかに、あの世界にいければ確かに落ち着きそうだ。落ち着きすぎて寝てしまうほどかも、だ。
瞑想、しっかりやって、あのイメージをもっと明確にしていこう。

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濃くてでっかい夢を

昔の人の夢は濃い。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 7月25日の言葉

「天下統一!」 by 織田信長
「大政奉還!」 by 坂本龍馬
とかだからね、昔の人の夢は。でかいし濃いし。しかもそれが達成できるということを信じて疑っていない。だから強いし、何か障害があっても夢の実現のために解決策を必死で考えて突破していく。
翻って、現代。それだけ濃い夢を持っている人がどれだけいるんだろか。濃くてでかい夢を描き、一見無理そうに聞こえるけど、本人は本気で達成できると考えている。
熱いなあ、そんな夢に直向に生きる生き方。熱い。
夢は想像しえる限り、濃く、でっかく。

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悪意を感じる言葉

ぼくはね、相手が言っていることの中身よりも、
それが善意に基づいているのか悪意なのかだけを
考えるんですよ。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 6月29日の言葉

今日の言葉を読んで、改めて考えてみると、相手の言葉に悪意を感じることって、あまりないことに気付いた。世の中、まだまだすてたもんじゃぁないんです。

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不本意な人生

きっと、あらゆる人生って、
ほんとは不本意なんじゃないでしょうか?
<糸井重里さんが『欽ちゃん!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月25日の言葉

その通りだと思う。だからこそ、人生は面白い。
何でも自分の思い通りにいく人生なんて、つまらないもんね。

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人を認めるということ

欠点があるがままでも、いいことはできるし、
悪人でも人の役に立つことはできるし、
まちがってばかりいる人間が、
たったひとり正解を出すことだってある。
そういうことは、ぜんぶ、やっぱりほめるべきことだ。
<ダーリンコラム
 「活かす」より>
ほぼ日手帳2006 – 6月18日の言葉

とかく、人は人の悪い部分ばかりを見てしまい、一度悪い部分を見てしまうと、良い部分があったとしても認めようとしなかったりする。というか、認めることができない。切ない話だ。人は変わっていくのに。
人の良い部分を見ようとする意識。そしてそれを認める広い心。そうありたいもんです。

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