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heydays@twilog

何だか最近やたらと盛り上がりを見せているTwitterだけど、その盛り上がりを加速させそうなサービスが開始されている。

http://twilog.org/

「Twilog」(ついろぐ)はTwitterのつぶやきをブログ形式で保存するサービスです。

これは、かなりいい。数日前に登録して使っているけど、何ならブログやめちゃってもいいのかも、って思えるくらいに、いい。なかでも特に気に入ってるのが、twitpicでつぶやいた写真を表示してくれるところ。

「使っている」とは言っても、ただいつも通り「つぶやいている」とそれを自動的に取得してくれるので、特に使っているという意識もない。それがまたいい。

そんなわけで、これからはheydays@twilogのほうが頻繁に更新されていくので、こっちのブログの更新頻度はただでさえ低いのにさらに低くなるかも、なんて思い、「何ならブログやめちゃってもいいかも」って思ったわけだけど、何故かつぶやきが日々増えていくにつれて、こっちのブログに対するやる気も出てきた。不思議だけど、きっとそういうもんなんだな。

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息抜きにブログを書く

「息抜きにブログでも書いてみるか。」

何てことを、何となく思ったので、書いてみる。

7月に入社した会社のトレーニングでUSに3週間行って、帰ってきてから3週間程経って、何だか徐々に忙しくなってきた。USとの時差があるなかでの仕事を、しかも自宅勤務でやっているので、どうもメリハリがない。特に気持ちの面で、常に仕事のことを考えている、というか気になっているので、何だか気持ちが休まらない。

そんななか、ここ最近、腹のゆるみも気になってきたこともあって、ジョギングを始めてみた。大体5Kmを30分くらいでのんびり走る。いい運動 + いい気晴らしになるので、これはしばらく続けてみようかなと思っている。

というわけで、走ることでかなりストレス解消にはなっていると思うのだけど、何となくまだ、気持ち的な息抜きが出来きれてないなあ、なんて感じている中、ついさっき、ふと気付いたことが。

多分これは、頭の使い方の話なのかも。つまり、仕事が忙しくなってくる中、頭を(又は脳を)フルに使う場面が仕事のことばかりで、他のことに頭を使っていないのが良くないのではないか、と。身体は走ることでリフレッシュしているけど、頭のリフレッシュが出来ていない。頭のリフレッシュといっても、何も考えない時間を作ったり、映画観たり、というのも必要かと思うけど、それよりも仕事以外のことで頭を使う、つまり考えることが頭のリフレッシュ=息抜きになるのではないか。

ブログの記事を書く、というのはそれなりに頭を使うことなので、いい息抜きになるような気がする。それ以外にも、さらっと流し読みできないような本・小説を読む、なんてのもいいかもしれない。

仕事で忙しい時こそ、仕事以外で頭を使う・考える、ということが大事なのかもしれない。きっとそうだ。

『風を継ぐ者』 by キャラメルボックス

基本的に幕末物、特に坂本竜馬と新撰組に関する話は、その形態に関わらず、鑑賞するのが好きだ。

昨日観てきた演劇集団キャラメルボックスの『風を継ぐ者』も幕末を舞台とした新撰組の物語。いつものテンション高いキャラメルボックスらしい舞台で、場面によってはそのテンションについていけない部分もあったが、全体通して楽しめた。泣ける、というほどではなかったけれど、沖田総司の存在が醸し出す何とも言えない切なさのようなものが、すっと心に残っている。

それにしても、沖田総司、そして土方歳三というのは、誰が演じてもある意味同じような雰囲気というか存在感というか、そういうものを醸し出す何かがあるんだなとつくづく感じた。(うまく説明できてないな・・・。)

ただ、この『風を継ぐ者』の主役は、沖田でも土方でもなく、立川迅助という新撰組の伝令役として入隊した男(多分実在してはいないと思うけど)。個人的にはどうもこの立川迅助に感情移入することができなくて、そこが何となく消化不良というか。どんな場面でも走り続け、妹思いである立川迅助の純粋さや正直さを表現しようとしているのは分かっていたつもりなんだけど、何故か感情移入できず、何というか、一歩引いて観てしまっていた。

それでも、今回の『風を継ぐ者』は前回観たキャラメルボックスの舞台『容疑者Xの献身』より面白かった。前回の『容疑者Xの献身』を観て、かなりがっかりして、もうキャラメルボックスの舞台はいいかな、なんて思ったりもしていたので、今回の舞台を楽しめたのは良かったなと思う。

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シリコンバレーに行ってきた

3週間のシリコンバレー出張から帰国したのが一昨日の日曜日。久しぶりのアメリカ出張、しかも3週間という比較的長期滞在のためか、時差ボケがひどい。今日になっても、まだ身体と頭がふわふわした感じがしている。

アメリカには、以前にいた会社で何度か出張に行っているが、シリコンバレー界隈への出張は今回が初めて。とは行っても、シリコンバレーの象徴的なGoogle CampusやAppleのオフィスからは少し離れた場所に僕の会社のオフィスがあったので、それまで何となくイメージしていたシリコンバレーに行ってきたっていう感はあまり強くない。CISCOのオフィス界隈は車や自転車でよく通ったのだけど。

まあ、シリコンバレーにせよ、以前に何度か行って数か月滞在していたLAにせよ、やっぱり個人的にはアメリカに滞在すること自体には、あまり興奮しないのだよなあ。そこで出会う人達とのふれ合いというか、関係というか、そういうものは楽しいし大切なのだけど、アメリカ滞在そのものが楽しいかというと、そうでもない。多分、まだ僕がアメリカの自然の雄大さを感じられる、グランドキャニオンやヨセミテ等に行ったことがないからだとは思う。

というかあれだ、アメリカは危険だし車がないと動けない、っていうのが一番いやだ。

アメリカに比べると、以前行ったマルタやイスラエルのような歴史のある国のほうが楽しい。行きたい、と思える場所もたくさんある。あと、そういった国では食事も美味しいし。これかなり重要。それらの国も車がないと動けないっていうのは同じだけど、けど危険ではないし。イスラエル行った、っていうと「危険じゃないの?」ってよく聞かれるけど、個人的にはアメリカのほうがよっぽど危険な国だ。

それにしても、アメリカに憧れる日本人って今でも多いのだろうか。日本のほうが住みやすいけどなあ、個人的には。日本に比べれば、アメリカのほうが色々な意味でオープンで、チャレンジし甲斐もあるのかもしれないけど、だからといって、日本にいたらオープンな文化の会社でチャレンジングな仕事ができない、というわけでもないし。

まあ、そんなことを言っても、シリコンバレーのようなクリエイティブな人が集まるクリエイティブな場所は、日本ではまだないのかもしれない。あるかもしれないけど、シリコンバレーのように象徴的な場所は、少なくともない、多分。そういうクリエイティブな場所で勝負している会社のメンバーとして働けるというのは、僕にとってはとても良いことなので、アメリカについて云々言うのは、もうやめにしよう。そうしよう。

考えるということ – 「思考の整理学」

前から気になっていた本著を今日ふと立ち寄った本屋で目に入ったので買って読み始めた。

まだ半分程度までしか読んでいないが、かなり面白い。詰め込み式教育の人間を「グライダー」、創造的人間を「飛行機」として、詰め込み式教育で育った「優秀な」人間というのは、実は自分で飛ぶことのできない「グライダー」だと説いている。そして自分でエンジンを持ち飛ぶことのできる「飛行機」な人間は創造的で、ときに学校教育等では異な扱いを受けると。

読み進むにつれて、「考えるということ」が一体どういうことなのか、再考させられる。本当に人間として優秀な人間というのは、ただ詰め込まれた知識からただ問題を解くことができる人間ではなく、問題が何なのかを自分で見つけ出し解決することができる、という。前者が「グライダー」、後者が「飛行機」というわけだ。日本の教育を受けてきた人は、どちらかというと「グライダー」的な人が多いのではないだろうか。僕自身もどちらかというと「グライダー」タイプなような気がするので、出来るだけ自分のエンジンで飛べるように日々意識して考えて、行動していきたいものだ。

本著では、上記のような話から、「忘れること」による思考・アイデアの熟成や、「つんどく法」なる読書法も紹介されていて、非常に興味深い。定期的に再読したいと思える、僕にとっては久々の名著だ。

体調悪

先週、一週間の休みを取って、仙台→福島と東北ツアーに行ってきた。愛車のCUBEに、犬三頭と奥さん、そして僕がぎっちりと乗り込んで。久々にみんなででかけることが出来た。楽しんだ楽しんだ。

ただ、今回のツアーは楽しみつつも体調と闘うツアーでもあった。特に腰痛。昨年5月にぎっくり腰をやって以来、腰痛に悩まされているのだが、今回長時間運転が堪えたのか、仙台滞在二日目辺りで、またぎくっとやってしまった。といっても、かろうじて歩ける程度(昨年やったときは数日歩くことさえ出来なかった)だったので、まだ何とか出かけることができた。

そんなこんなで、楽しみつつ腰痛と闘いつつ、先週末に帰宅したのだが、それから疲れがどっと出てきたようで、腰痛に加えて、口内炎、そして頭痛が続いていて、もうたまらん。

口内炎は数ヶ月、調子の悪いときは数週間に一度の割合で、でかいのが何個もできて苦しむのだが、今回はそれに加えて腰痛、頭痛が重なっているので、精神的にかなり参っている。倦怠感的なものも身体全体を覆っていて、そのせいで余計気持ちが落ちるのか、気持ちが落ちているから倦怠感が余計深いのか、何だかよく分からんが、とにかく、ずーーーん。

そんなこと言いつつ、今週一杯で今の会社を辞めて、来週から新しい会社での仕事が始まるので、片付けやら準備やらでテンヤワンヤなので、ゆっくり休むことも出来ず・・・。もう仕方ない身体と頭をフル回転させて生産的に過ごしながら回復させていくしかないなこれは、と腹を括ってみた。そしてその決意を一ヶ月更新していなかったこのブログで書いてみたという次第で、つまり特に内容のないエントリーなのでした。

バルセロナ!

今日は朝3時半起床。眠い。

寝不足覚悟でTV観戦した、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦『バルセロナ vs マンチェスターユナイテッド』。サッカー好きで良かったなあ、と改めてしみじみ思うほど、いい試合だった。特にバルセロナのサッカーは、もう凄いとかいうよりも、美しい。うっとりだ。試合中、何度も「うおっ」「すげっ」「うめー・・」なんていう呻き声をあげてしまった。

解説の方も言っていたけど、両チームのパス回しにチーム色、いや哲学が象徴されていた。バルセロナは足元にパスを出してつなぎつつ、あるところでキュッと速度ギアを入れ替える。マンUはどちらかというとスペースにパスを出して、その勢いのままゴールに向かう。大雑把にいうと、そんなふうに両極端なサッカーをそれぞれ最高レベルで展開していくので、もうたまらん。

そのたまらん展開を完全に制したバルセロナのサッカーの美しさというのを今回改めて実感。観ていて飽きないうえに、強い。そして美しい。昨年の決勝「マンチェスターユナイテッド vs チェルシー」よりも数倍楽しめた決勝だった。来シーズンもまた楽しみだ。

それにしても、UEFAチャンピオンズリーグが民放で普通に生放送される時代になることを切に願う。今は、民放で生放送されるのって決勝ぐらい。それ以外は放送しないか、したとしても1日遅れとか。日本のサッカーレベルの底上げを本気で考えるなら、こういうところも改善していったほうがよいのになあ、と思う。Jリーグと日本代表、4年に1回ワールドカップを観て育った選手と、UEFAチャンピオンズリーグやリベルタドーレス杯、その他海外トップリーグを日常的に観て育った選手とでは、どちらがよい選手になるか、言わずもがなだと思うのだけど。

『容疑者Xの献身』舞台版 by キャラメルボックス

先週の木曜日(5/21)に、キャラメルボックスの『容疑者Xの献身』を観てきた。

場所は、池袋のサンシャイン劇場。来月の結婚式に向けて、銀座のブライダルエステ『ワヤンサラ』に通っているうちの母ちゃん(嫁)と有楽町で待ち合わせて、有楽町線東池袋駅で降りる。『ワヤンサラ』、かなりいい感じみたいだ。

さて、『容疑者Xの献身』のキャラメルボックスによる舞台版。

東野圭吾の原作、堤真一さんが数学学者石神を演じる映画版、両方とも、僕も母ちゃんも好きな作品なので、二人とも本当に楽しみにしていたのだけど、正直、がっかりだった。

原作に忠実といいつつ、キャラメルボックスらしさ(主に笑い)を所々散りばめていて、確かに原作に忠実な展開になってはいるのだけど、物語の核となるセリフをギャグにして笑いを取ろうとしていたりして、首をかしげる部分がかなりあった。そういった「キャラメルボックスらしさ(主に笑い)」を散りばめすぎたせいで、原作のもつ雰囲気・佇まいというのが損なわれてしまったように個人的には感じた。実際、原作や映画で感じた、あの切ない感動は伝わってこなかった。

舞台版を観てから3日経つ今日になっても、二人で「ああだこうだ」と感想を言い合っている。その感想を今まとめていて、キャラメルボックスに送ろうと思っている。かなり長文になってしまいそうだけど、原作のファン、キャラメルボックスのファンの意見として、ちゃんと読んでもらえると嬉しい。

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定額給付金が振り込まれていた

今朝、銀行からお金を引き出したら、把握しているよりも少しだけ多い残高だったので調べてみたら、定額給付金が振り込まれていた。

奥さんと僕とで、それぞれ12,000円ずつ。計24,000円。昨年から騒がれてきた定額給付金がこうやって実際に振り込まれてくると、何だか不思議な気分。特に嬉しいということもなく、本当に政府からお金もらっちゃったなという何とも言えない変な気分。

政府からお金もらっちゃった、と言っても、このお金も僕達国民の税金から賄われているので、振り込まれた金額のうち何分の一かは、元々僕達が稼いだお金なんだよなあ。むむー。

それにしてもこの定額給付金、改めて考えるとものすごくコストがかかっているなと思う。申し込み用紙そのものを印刷・郵送するのにも、僕達がその申込書に貼る証明書を用意したりするのも、申込書を受け取って内容を確認して指定された銀行に振り込むというのにも、全てコストがかかっている。特に人的コストってすごいんじゃないかな、これ。大変なコストをかけてお金をばら撒く政府と、ばら撒かれる国民。なんだかなあ。

数年経ってから、2009年に実施された定額給付金という政策にはどんな評価が下されているんだろう。良くも悪くも、ある意味歴史に残る政策であることは、間違いなさそうだ。

英語の音中心のレッスン

4月から2009年度のこども英語クラスがスタートした。

といっても、参加する子ども達は昨年度からほとんど変わっていない。年下クラスに一人新しい子が入ったので、これまで1年以上英語を習ってきたメンバーとの差を埋めつつ、いかにクラス全員にとって内容のあるレッスンにするか、頭を悩ませている。こども英語クラスを始めてから試行錯誤が終わることはない。

2009年度のレッスンからは、「英語の音」の学習・練習を第一の目標とした。これまでのレッスンでは、英単語や英会話を少しずつ導入し、どちらかというと「英語の音」よりも、英語の知識のようなものを中心に学んでいった。発音は、あまり厳しくしすぎると子ども達が飽きてしまうかな、という心配もあり、多少違った発音をしていても、あまり注意していなかった。

が、今年の始めに読んだなんで英語やるの(中津燎子)を読んで、考え方・方針を180度変えた。これまでもフォニックスを取り入れながら、それぞれのアルファベットが持つ「音」を意識するようなレッスンを行ってはきたが、今後はレッスン内容のほとんどを「英語の音」習得に当て、単語や英会話は二の次に置くようにした。ちょうど、韓国のJY Booksが出している『Phonics in Reading』というフォニックスのテキストとしては最高のものを洋書絵本専門 スタジオ・ドリームで紹介してもらったので、それをメインのレッスンテキストにして、とにかく英語の音を体に染み込ませるということを目標として、レッスンプラン・カリキュラム(といってもものすごくざっくりとしたものだけど)を組み立てた。

といった方針の転換を背景に、2009年度レッスンが始まったが、思ったよりも難しく、これまでよりもチャレンジングなレッスンだな、というのがこれまでのところの感想。「チャレンジング」というのは、僕にとっても子ども達にとっても。「英語の音の習得」をレッスンの中心におく、というのは、ある意味で誤魔化しがきかないというか、多少の英単語や英会話のフレーズを覚えて喜んでいるのとは、全く別のレベルの話だ。

なんだか取りとめのない話になってきてしまったので、一旦ここらでストップ。続く。

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