Monthly Archives: May 2006

コトバ

心臓をどきどきさせることも、
徹底的にやる気をなくさせることも、
涙を止まらなくさせることも、
笑いを呼び込むことも、
クスリでは難しいことでも、コトバならできる。
<ダーリンコラム
 「ほんとにコトバはクスリだと思った」より>
ほぼ日手帳2006 – 5月12日の言葉

ブログのように文章になったコトバは、話し手の表情や声あるいは気持ちの調子が見えない分、読む人によって色々な捉え方がされる。読む人のそのときの調子によって、同じコトバでも違う影響を与えてしまうこともある。コレはもう、書いている側にはコントロールしきれないところだ。だからといって口は閉ざさず。アウトプットしたコトバがどんな捉え方をされようとも。素直に正直に、自分のコトバで、ブログを続けていくとしよう。

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焦点以外

人がものを見るときには焦点をあわせるわけだけど、
焦点だけを見ているだけではありませんよね。
その人に焦点以外の何が見えているかを書くことで、
視野のクセや焦点が見えるというか、せわしない動きをする人なのかどうか、
というのが盛りこまれてくると思うんです。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 5月11日の言葉

「ものを見る」というのを「実際に何かを見る」ということ以外に「物事をどう捉えているか」という意味で捉えたとして、「焦点」以外にどんなものが見えているか、というのはとても重要になってくるように思う。そして「焦点」を「本質」と言い換えるとして「焦点」以外が見えているということは、より多角的あるいは多面的に物事を捉えることができている、とも言える。それによって、ともすれば独りよがりなズレた捉え方をしてしまうこともある「焦点」も、「焦点」以外を見ること、言い換えると客観的に物事を捉えることによって、よりその本質に近づけるのでは。
というわけで、焦点以外に自分が何を見ているのか、というのは意識していきたいと思ったり。

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平面な世界

事業が思いどおりにいかなくなると、
どんなふうになるかといいますと、
こう、自分が見ている風景の
立体感がなくなって「平面」になるんです。
においもしません。まったくの静止画。
<TSUTAYA社長・増田宗昭さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 5月9日の言葉

増田さんはTSUTAYAを興す前の事業(ディレクTV)が思い通りにいかなくなった(倒産した)ときから、2~3年、家族と一緒にいるときさえ、世界が「平面」に見えたという。
第5回:世界が「平面」になったとき
その後、TSUTAYA事業と出資していた楽天の成功で増田さんの世界は再び「立体」になる。その数年間の「平面」時代に増田さんはどれだけの思いをして、再び世界が「立体」になったとき、その世界は増田さんにとってどれだけ輝いて見えたんだろう。
周りの風景が「平面」になるほど絶望したことは僕はまだない。今後あるかどうかも分からない。だからといって日々安心して生活を送るのではなく、「平面」な世界を見ないためにも、万が一見えてしまったとしても、再び「立体」な世界を取り戻せるよう、表面的ではなく根っこの部分で強い人間になれるよう、常にあらゆる努力を怠らないようにしよう、と心を引き締めた次第。

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捉え方次第だ

自分、ちょっとあせってましたよ、この日。
少々、さみしい気持ちになってました。
こういうときには、自分に言うのです。
「起こったことは、すべて善きかな」、と。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月8日の言葉

「全ては、捉え方次第」
僕の好きな言葉のひとつ。
人間には、何週間周期で、「調子のいい状態」と「調子の悪い状態」っていうのが巡ってくる、って何かの本に書いてあった。これはその日の気持ちを記録することで実際に分かってくるらしい。僕は「気持ちの記録」を意識して試したことはないけれど日記を書いていることもあって、何となく分かる気がする。物事の捉え方も、この「周期」に影響される部分が多いってことも感覚的に分かるような。「調子のいい」周期にいるときは、放っておいても物事を前向きに捉えることができる。悪いときは逆。
そんななかで特に「捉え方」を意識していきたいのは「調子の悪い」周期に自分がいるとき。調子が悪いときこそ後ろ向きになってしまいながらも、良い部分を見よう・感じようって意識することが大切かと。
ただ、調子の良いときも「捉え方」を振り返る必要はあるのかも。「何か俺調子いい!」なんて言って、客観的に見て「それはどうかな」って思うこともまで「良いこと!」って思っちゃって、周りに迷惑かけちゃってるかもしれないし。
一番いい状態っていうのは、前向き過ぎず後ろ向き過ぎず、ニュートラルな状態で物事の真実を捉えて、自分の捉え方を客観的に捉えることが出来て、それでいて物事から良い部分を抽出して少しでも前に進んでいる、そんな状態じゃないかな、と。その「一番いい状態」を保つ秘訣は、調子の良し悪し周期という人間の避けられない性質を客観的に捉えることかもしれない。全ては捉え方次第だ。

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感動を売る!「人とお金」が集まる仕事術 by 中村伸一

感動を売る!「人とお金」が集まる仕事術
中村 伸一
ナツメ社 (2006/04/12)

 たとえ事実はひとつであっても、ものの受け取り方、感じ方ひとつで楽しめることを体験から学んでほしい。そうすれば、あなたの人生は驚くほど変わるはずだ。(P.186)

現地集合・現地解散の<多国籍冒険ツアー>を提供している「地球探検隊」隊長の中村伸一隊長による、涙ナシには読めない本です。
ガチガチに企画された「旅行」ではなく隊員(地球探検隊ではツアー参加者をこう呼ぶようです)自身が作り上げる「旅」。そのなかから生まれてくる「感動」をビジネスにしている「地球探検隊」を中村隊長と隊員がいかに作り上げてきたかを、数多くのエピソードから紹介されていて、グイグイ惹きこまれます。ツアー中の感動エピソードだけでなく、メルマガ等を活用したビジネスのヒントや、「感動」をベースとした仕事に対する考え方や夢・目標・物事の捉え方等、泣けながら仕事や人生のヒントが満載です。

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ココロの中のBGM

例えば「恋愛」したいときやそんな予感のあるときって
「BGM」なしでうまくいくものなの? ありえないでしょ!!
心の中に「BGM」が流れてこそ、何か得体の知れない
「オーラ」というか「フェロモン」というか
そんな「何か」が出るんだから!!
『ほめ道を往く。』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月8日の言葉

恋愛に限らず、ココロオドルときには、ココロの中にBGMが流れる。明確にどんな音楽かっていうのは分かるときと分からないときがあるけど、いずれにしても、何かしら流れてる、ココロの中に。
いつもココロにBGMが流れている。そんな風にココロオドル日々を送っていきたい。その秘訣は簡単なこと。
笑顔。
最近は、心地よいココロのBGMが流れ続けていて、いい感じです。

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寂しいとき

寂しいということは、
生きがいを見つける素晴らしいきっかけであり、
エネルギーだと思えば、
勇気がわいてくるだろう。
<岡本太郎さんの言葉
 『TAROのひとこと』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月6日の言葉

さすがに岡本太郎さんの言葉は心強い。
ただ、本当に寂しいときに生きがいを見つけろ!とか勇気が沸いてくるだろう!って言われても、すぐには前を向くことができないってのも実際あって。
とはいえ、寂しさにずっと浸かっていることに耐えられない。
寂しくて下を向いていても、いい。ただ、前を向いたら、そこに光があるってことを忘れないように。
今日のTAROさんの言葉をそんな風に解釈した。

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ブログレイアウトリニューアル☆

ブログレイアウト、ガラッと変えてみました。
テンプレートはこちらからいただきました。
Macromedia風テンプレート for MT3.1 – 風のまにまに号
シンプル・イズ・ベストをモットーに、必要最低限のメニューだけ残しました。
個人的には、とっても気に入っています。しばらくこのレイアウトでいきます。

心からの

(お母さんが)自分で考えて悪いと思わなかったときは、
あやまらなくっていいって。
きちんと自分で考えてから、
心からのごめんなさいを1回言えばいいって。
『神木隆之介流、息子のおはなし。』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月5日の言葉

「きちんと自分で考える」
「心からのごめんなさい」
この二つのキーワードは子供を教育していく上で、とても大切なことな気がする。
ちゃんと考えないでも、あやまれば許してもらえる。子供がそんな風に思うようになったら、大袈裟ではなく、この国自体が危ない。そう思っている大人は既に多いかもしれないけど。
自分で考えること。
心からのごめんなさい・ありがとうを心を込めて伝えること。
これらの大切さを子供達に伝えていくためにも、まずは僕達大人が強く意識して実践していくこと、ですね。

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