Tag Archives: 保坂和志

繰り返し読む

小説ってどう読むのがいいのかというか、
小説家としてはどう読まれたいと思うかというと・・・
読み終わったらまた最初から読んでほしい。
それだけで充分なんです。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 7月4日の言葉

何度も繰り返し読みたい本、文章、言葉。今まで読んだ本でも、実際に何度か読んでいる本があったりして、そういう本は毎回違う発見がある。本に深みがあるのももちろんだろうけど、自分自身の考え方も読む時々で変化しているので。
そういうものに出来るだけたくさん出会えるといい。出来れば、そういうものを創り出すことができたら、なお素敵。

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応用性のあるもの

いたずらに「他の人にも応用性がある」
とかいう表現には、意味がないと思うんです。
そこにしかない状況でもきちんと表現すれば、
受け取った人が自分の中の別の状況で共振するというか。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月24日の言葉

どんなものでも、受け取る人によって、その人のなかで共振する部分っていうのは、それぞれなわけで。とてもいい言葉があったとして、それを見たときにみんなが自分と同じように感じるってことはなく。どんなにいい仕事術を持っていたとしても、それが他の人にとってもいいものになるとは限らず。
こう考えていくと、ちょっと極端だけど「応用性のあるもの」なんてのは世の中に存在しないのかも。そう考えると、「これならうまくいくよ」っていうやり方を自分が試してうまくいかなかったときに凹むこともなくなるな。

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焦点以外

人がものを見るときには焦点をあわせるわけだけど、
焦点だけを見ているだけではありませんよね。
その人に焦点以外の何が見えているかを書くことで、
視野のクセや焦点が見えるというか、せわしない動きをする人なのかどうか、
というのが盛りこまれてくると思うんです。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 5月11日の言葉

「ものを見る」というのを「実際に何かを見る」ということ以外に「物事をどう捉えているか」という意味で捉えたとして、「焦点」以外にどんなものが見えているか、というのはとても重要になってくるように思う。そして「焦点」を「本質」と言い換えるとして「焦点」以外が見えているということは、より多角的あるいは多面的に物事を捉えることができている、とも言える。それによって、ともすれば独りよがりなズレた捉え方をしてしまうこともある「焦点」も、「焦点」以外を見ること、言い換えると客観的に物事を捉えることによって、よりその本質に近づけるのでは。
というわけで、焦点以外に自分が何を見ているのか、というのは意識していきたいと思ったり。

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