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音楽で通じてる感

音楽には「通じた」という感触があります。
人間と人間の回路が開けるようなところがありまして、
よろこびという感情がいちばん強く出るんで、
言葉も何もわからない国で話が通じた時のうれしさ・・・
それだと言語的社会的ですけど、それをもっと身体に近づけたようなよろこびが、
音楽にはあるんです。
<町田康さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 7月2日の言葉

音楽って万国共通だな、とつくづく思ったことがある。
昨年、当時勤めていた外資系ベンダーのアジアパシフィックカンファレンスに参加するために、シンガポールへ行ったときのこと。カンファレンス最終日の打ち上げで、何故かカラオケ大会になった。様々な国籍の人間が集まっていて、基本的には英語が共通語なので、歌もおのずと英語の曲になるとはいえ、あの盛り上がり方はちょっと尋常じゃなかった。カンファレンスが終わってみんなハジケテいたってのも大いにあるんだろうけど。とにかく、「通じてる感」満載の2時間だった。
様々な国の、様々な世代が集まっても、ひとつになれちゃうのが音楽。単純で奥深い。音楽最高。

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選択の連続

有利でもなく、不利でもなく、
意志に忠実な選択こそが、
自分の人生を創っていくんだと私は思う。
<『おとなの小論文教室。』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月30日の言葉

人生は選択の連続、なんてことはよく言われることで。その連続のなかで、大きな選択になればなるほど、自分の欲求に正直な選択をしていきたいもの。特に何か新しいことを始めようとするとき、やるか・やらないか、悩んでいるとき、もうやるしかないのよね。四の五の言わずに自分の欲求に素直に従って。やらないと大概後悔するからね、後から。これは切ない。

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悪意を感じる言葉

ぼくはね、相手が言っていることの中身よりも、
それが善意に基づいているのか悪意なのかだけを
考えるんですよ。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 6月29日の言葉

今日の言葉を読んで、改めて考えてみると、相手の言葉に悪意を感じることって、あまりないことに気付いた。世の中、まだまだすてたもんじゃぁないんです。

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ジタバタ車

わたしの車は4ドアです。以前、友人4人とわたしの車ででかけたときのこと。
Yちゃんは「助手席」のドアを開け、「背もたれ」を倒し、
そこにできた狭い隙間から「後部座席に」
乗り込もうとジタバタしていました。
・・・・ドア、ちゃんと4つあるから。
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月28日の言葉

ジタバタ・・・。

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Face2Face

ぜったい面とむかった場面以外では、
ケンカしないこと。
電話のケンカは悲惨なことになるもんね。
『新宿二丁目のほがらかな人々。』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月27日の言葉

これは、仕事でもプライベートでも言えることだなあ。表情が見えない分、言葉が直接的に伝わりすぎてしまうような。それが良いときもあれば悪いときもあって。悪いときは一度そうなってしまうと、そのいや~な感じが電話だとなかなか取り戻せなかったり。会って話せばすぐに取り戻せたり。
電話だのメールだの、色々とコミュニケーションの方法はあるけど、「Face to Face」がやっぱり一番。

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自然を感じる

夏が近い、という予感のようなものは、
それまでの心の衣替えをさせるようです。
冬はもちろん春も終わったんだなぁ、という
いちまつのさみしさもありながら、
まぶしい海に飛び込んでいくような期待もあって。
いい感じの哀しさがあるんです。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月26日の言葉

季節の変わり目の雰囲気というか、匂いというか、そういうのって、割と好きです。寂しさと期待が同居していて、浸るには悪くない時期。
にしても、最近蒸し暑い。ここ数年、春と夏の変わり目があまりゆるやかじゃないよなあ。ついこの間まで春だと思っていたのに、梅雨がそろそろくるなあ、ぐらいに思ってたらいきなりこの蒸し暑さ。んー。
「地球温暖化」とかそういうのが原因でこういうことになってるのかなって思ったりしたけど、いやそれもひとつにはあるんだろうけど、そういう外的要因だけじゃなく、季節の変わり目をゆるやかに感じることができないのは、もしかしたら、大人になるにつれ、そういうのを感じる余裕がなくなってるからなのかも。
もっと自然を感じねば。早朝散歩でもしよっか。

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不本意な人生

きっと、あらゆる人生って、
ほんとは不本意なんじゃないでしょうか?
<糸井重里さんが『欽ちゃん!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月25日の言葉

その通りだと思う。だからこそ、人生は面白い。
何でも自分の思い通りにいく人生なんて、つまらないもんね。

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応用性のあるもの

いたずらに「他の人にも応用性がある」
とかいう表現には、意味がないと思うんです。
そこにしかない状況でもきちんと表現すれば、
受け取った人が自分の中の別の状況で共振するというか。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月24日の言葉

どんなものでも、受け取る人によって、その人のなかで共振する部分っていうのは、それぞれなわけで。とてもいい言葉があったとして、それを見たときにみんなが自分と同じように感じるってことはなく。どんなにいい仕事術を持っていたとしても、それが他の人にとってもいいものになるとは限らず。
こう考えていくと、ちょっと極端だけど「応用性のあるもの」なんてのは世の中に存在しないのかも。そう考えると、「これならうまくいくよ」っていうやり方を自分が試してうまくいかなかったときに凹むこともなくなるな。

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血と汗と涙と

血と汗と涙の結晶とか、
そういうことを言ってるうちは、まだまだです。
血と汗と涙は、もう当たり前ですから。
そこから一歩上のことをサラッとやらないと。
<ホストの零士さんが『ホストに訊く語録・総集編!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月23日の言葉

血も汗も涙も、まずは何か行動を起こさないことには流れない(涙はじっとしてても出るだろ、とかいう話はここでは抜きで)。そういう意味でも、何かを達成しようとしている人間にとっては、血と汗と涙は当たり前。なんでもやってやろうって心持ちがまずあって、行動して、血と汗と涙を当然のごとく流した上で、次のステージにいけるわけで。
んー、そしたら僕の場合、まだ始まってもいないな。なにせ自分に甘いもので。なかなか血も汗も涙もでません。

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