音楽で通じてる感

音楽には「通じた」という感触があります。
人間と人間の回路が開けるようなところがありまして、
よろこびという感情がいちばん強く出るんで、
言葉も何もわからない国で話が通じた時のうれしさ・・・
それだと言語的社会的ですけど、それをもっと身体に近づけたようなよろこびが、
音楽にはあるんです。
<町田康さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 7月2日の言葉

音楽って万国共通だな、とつくづく思ったことがある。
昨年、当時勤めていた外資系ベンダーのアジアパシフィックカンファレンスに参加するために、シンガポールへ行ったときのこと。カンファレンス最終日の打ち上げで、何故かカラオケ大会になった。様々な国籍の人間が集まっていて、基本的には英語が共通語なので、歌もおのずと英語の曲になるとはいえ、あの盛り上がり方はちょっと尋常じゃなかった。カンファレンスが終わってみんなハジケテいたってのも大いにあるんだろうけど。とにかく、「通じてる感」満載の2時間だった。
様々な国の、様々な世代が集まっても、ひとつになれちゃうのが音楽。単純で奥深い。音楽最高。

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佐渡ロングライド210完走☆

一ヶ月ほど前になりますが、5/28(日)に開催された、佐渡一周210Kmを半日(12時間)で走りきるというイベントに参加してきました。自転車レースに参加するのも初めてで、いきなり210Kmという途方もない距離のレースに、まさに無謀な挑戦。

2006スポニチ佐渡ロングライド210

輪行バッグに愛車をしまい、東京から新幹線で新潟へ、そしてフェリーで新潟港から佐渡両津港に着きそこからバスで30分ほど走って、家を出てから約5時間でやっと会場へ到着。それはそれで楽しいものでしたが、この行程だけでも結構体力消耗。今回は一人で参加したので輪行しましたが、今度は仲間何人かと車で来たほうが全然楽だろうな、と実感。来年は誰か誘おう。一緒に行きたい人、もしいたら連絡くれたし。

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開催当日は生憎の雨風。しかも強風&豪雨。そのうえ、佐渡の外周はアップダウンが激しい走り甲斐のあるコース。このレースに備え、毎日往復一時間・約20Kmの自転車通勤と、週末約30Km程度の練習を行ってましたが、とはいえ、最長でも50Km程度しか走ったことがない状態でのレース参加、つまりかなりトレーニング不足状態で悪天候下のレース。それはもう過酷でした。

そんななか、いやホントにキツイ思いをしながら、何とか完走しました。朝6時のスタートでゴールしたのが、夕方5時40分。リミットの12時間まで残り20分、ほぼぎりぎりの11時間40分での完走です。我ながらよくやりました。180Km辺りの下りで対向車にぶつかりそうになり、それをよける際にこけてしまい、尻を強打し左膝と左脇腹をひどく痛め、正直リタイヤも考えましたが、もう意地になって走り続けました。

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手作りの版画で描かれた完走証。完走してもらえるものは、このA5サイズ程度の版画一枚とゴール後のあったかいエビ汁。旨かった。

さて、自分への備忘録もかね、各キロ数毎の身体の調子を書いときます。

60Km
スタートから60Km地点あたりまでは、ほとんど身体に異変は起きず。が、60Kmを超えた辺りでいきなり右足ふくらはぎがつりそうになる。ここからゴールまでの間、自転車に乗りながらふくらはぎを伸ばすストレッチを繰り返す。

100Km
下半身は常につりそうな右ふくらはぎ以外はまだまだ快調。対照的に上半身に、100Km超えた辺りから、疲れが出始める。腰から背中にかけて、軽く痛みだす。

120Km
疲れが出始めた上半身がどんどん重くなっていく。首の後ろあたりが、硬く凝ったような状態に。

160Km
快調だった下半身にいきなりどっと疲れが。170Km地点にある休憩地点まで何とかたどり着く。

170Km
最後の休憩地点。160Kmを超えた辺りに感じた足の疲れが本格的に。歩くのはもちろん、立っているのもきつい状態。

180Km辺り
転倒。(これについては、あとで詳しく。いやきつかった。)
プラス全身の疲れが極限状態に。

ゴール(210Km)
ラスト10Kmほど、転倒の影響で左膝はほとんど動かず、ペダルと太ももをつなぎとめるだけの役割に。ゴール後、足をつくと思った以上にひどい状態に。左膝、捻挫していたみたい。この捻挫が完治するまでに一ヶ月近く要すことに。

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さて、180Km地点の転倒について、もうちょっと詳しく。

このレースの特にきつい部分が、ラスト30Km辺りから連続できつい上り坂が3~4本続くところ。そのうち一つの坂を何とか登り終え、身体を休めながら少し急いで下っていたのがいけなかった。ブラインドコーナーを少し膨らんでしまい、そこに対向車が。車にぶつかる前にとっさの判断で自転車を倒して転倒。よく覚えてはいないけど、多分あそこで転倒していなかったら車にまともにぶつかって、もっとひどい怪我になっていたと思います。
それでも、尻を強打し、左膝を思いっきりひねって、どこかにぶつけたのか左脇腹もズキズキ。右ひじもすりむいて、疲れもあいまって一時放心状態に。他のレース参加者の方数名が止まって声をかけてくれました。心強かったです。感謝してます。

そんなこんなで、何とか完走。ゴール付近になるとスタッフの方が声をかけてくれ、ゴール地点ではたくさんの人が出迎えてくれ、DJの方が「ゼッケンNo:1402、○○さん!5時40分、完走です!」ってな感じで、名前を読み上げてくれます。さすがにゴールの瞬間は疲れも忘れニヤニヤしながらのゴール。最高の気分でしたね。
自転車を始めて、まだ4ヶ月足らず。まともに長距離走ったこともない。しかもロードレーサーではなく街乗り用のクロスバイク。11時間40分という時間はさておき、こんな僕でも完走できたのには、いくつか僕なりのコツがありました。それについては、長くなってきたので、また別のエントリーで。

7/17追記
佐渡ロングライド完走のコツ」アップしました。

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走行記録 ※スピードメーターの記録
・実走行時間: 9時間35分42秒 →完走時間が11時間40分だから約2時間は休憩時間
・走行距離: 209.78Km
・平均速度: 21.8Km/h
・最高速度: 54.1Km/h

佐渡ロングライド2006の動画配信 – e-sado.net – リンク先の一番下『佐渡ロングライドアーカイブ #4 (ゴール付近~ゴール後の様子)』の11分15秒辺りにゴール後の僕が写ってます。ヘロヘロです。
Bianchi Passo ’06 – コイツと一緒に完走してきました。

選択の連続

有利でもなく、不利でもなく、
意志に忠実な選択こそが、
自分の人生を創っていくんだと私は思う。
<『おとなの小論文教室。』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月30日の言葉

人生は選択の連続、なんてことはよく言われることで。その連続のなかで、大きな選択になればなるほど、自分の欲求に正直な選択をしていきたいもの。特に何か新しいことを始めようとするとき、やるか・やらないか、悩んでいるとき、もうやるしかないのよね。四の五の言わずに自分の欲求に素直に従って。やらないと大概後悔するからね、後から。これは切ない。

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悪意を感じる言葉

ぼくはね、相手が言っていることの中身よりも、
それが善意に基づいているのか悪意なのかだけを
考えるんですよ。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 6月29日の言葉

今日の言葉を読んで、改めて考えてみると、相手の言葉に悪意を感じることって、あまりないことに気付いた。世の中、まだまだすてたもんじゃぁないんです。

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ジタバタ車

わたしの車は4ドアです。以前、友人4人とわたしの車ででかけたときのこと。
Yちゃんは「助手席」のドアを開け、「背もたれ」を倒し、
そこにできた狭い隙間から「後部座席に」
乗り込もうとジタバタしていました。
・・・・ドア、ちゃんと4つあるから。
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月28日の言葉

ジタバタ・・・。

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Face2Face

ぜったい面とむかった場面以外では、
ケンカしないこと。
電話のケンカは悲惨なことになるもんね。
『新宿二丁目のほがらかな人々。』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月27日の言葉

これは、仕事でもプライベートでも言えることだなあ。表情が見えない分、言葉が直接的に伝わりすぎてしまうような。それが良いときもあれば悪いときもあって。悪いときは一度そうなってしまうと、そのいや~な感じが電話だとなかなか取り戻せなかったり。会って話せばすぐに取り戻せたり。
電話だのメールだの、色々とコミュニケーションの方法はあるけど、「Face to Face」がやっぱり一番。

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自然を感じる

夏が近い、という予感のようなものは、
それまでの心の衣替えをさせるようです。
冬はもちろん春も終わったんだなぁ、という
いちまつのさみしさもありながら、
まぶしい海に飛び込んでいくような期待もあって。
いい感じの哀しさがあるんです。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 6月26日の言葉

季節の変わり目の雰囲気というか、匂いというか、そういうのって、割と好きです。寂しさと期待が同居していて、浸るには悪くない時期。
にしても、最近蒸し暑い。ここ数年、春と夏の変わり目があまりゆるやかじゃないよなあ。ついこの間まで春だと思っていたのに、梅雨がそろそろくるなあ、ぐらいに思ってたらいきなりこの蒸し暑さ。んー。
「地球温暖化」とかそういうのが原因でこういうことになってるのかなって思ったりしたけど、いやそれもひとつにはあるんだろうけど、そういう外的要因だけじゃなく、季節の変わり目をゆるやかに感じることができないのは、もしかしたら、大人になるにつれ、そういうのを感じる余裕がなくなってるからなのかも。
もっと自然を感じねば。早朝散歩でもしよっか。

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不本意な人生

きっと、あらゆる人生って、
ほんとは不本意なんじゃないでしょうか?
<糸井重里さんが『欽ちゃん!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月25日の言葉

その通りだと思う。だからこそ、人生は面白い。
何でも自分の思い通りにいく人生なんて、つまらないもんね。

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応用性のあるもの

いたずらに「他の人にも応用性がある」
とかいう表現には、意味がないと思うんです。
そこにしかない状況でもきちんと表現すれば、
受け取った人が自分の中の別の状況で共振するというか。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 6月24日の言葉

どんなものでも、受け取る人によって、その人のなかで共振する部分っていうのは、それぞれなわけで。とてもいい言葉があったとして、それを見たときにみんなが自分と同じように感じるってことはなく。どんなにいい仕事術を持っていたとしても、それが他の人にとってもいいものになるとは限らず。
こう考えていくと、ちょっと極端だけど「応用性のあるもの」なんてのは世の中に存在しないのかも。そう考えると、「これならうまくいくよ」っていうやり方を自分が試してうまくいかなかったときに凹むこともなくなるな。

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