移転すると味が変わるのか

20070805-DSC_4518.jpg 自宅のすぐ近くにあった行きつけのタンメンが旨い定食屋さんが最近移転した。

 数日前に、移転後初めて行ってみたのだが、味が少し変わっていた。何かパンチが弱くなったというか何というか。本当、お気に入りのお店だったので、少し残念。

 そう思ってたら、「スープの鍋とか、中華鍋が変わったから、味がなじむまでに時間がかかるんだよ。」なんてことを、お義父さんの飲み友達が言っていた。そういうものなのかな。そう言われると、そんな気もする。

 で、今日の夕飯に、そのお店で食べてみたら、味が少し移転前の味に近づいていた。鍋、なじんできたみたいだ。なるほど。

フレンチブルドッグ at garden

20070722-DSC_3802.jpg
Nikon D80, Nikon AF-S DX VR Zoom Nikkor ED18-200mm F3.5-5.6G(IF)
F5.6, 1/250s, ISO:450, Focal Length:200mm

昨日に引き続き、うちの子の写真をば。

こちらは、最近常用しているNikon Ai AF Nikkor 35mm F2Dではなく、Nikon D80購入以降しばらく使っていたNikon AF-S DX VR Zoom Nikkor ED18-200mm F3.5-5.6G(IF)で撮影したもの。

外で犬を撮影するとき、特にドッグランを走り回っていたりするときには、このレンズは重宝する。最長焦点距離200mmは、充分望遠レンズとしての機能も果たしてくれる。僕の場合、そういう場面では、シャッタースピードをある程度高速(1/250以上)で固定し、絞り開放(F5.6)で撮影している。場合によっては、この写真のようにISO感度が自動調整される場合もあるが、それも曇天昼間で大体ISO感度400程度までなので、個人的には、そんなに気にはならない。

このレンズ(Nikon AF-S DX VR Zoom Nikkor ED18-200mm F3.5-5.6G(IF))は、本当に万能で使いやすいレンズだ。その分、レンズに頼ってしまうところがある。その期待に、ほとんどの場面で応えてくれるのが、このレンズのまた凄いところ。

そんな風に、カメラとレンズに頼り切って、あまり深く考えずに、ガシガシと写真を撮るのも楽しいが、単焦点標準レンズ(Nikon Ai AF Nikkor 35mm F2D)のように、ズームの代わりに撮影者自身が身体を移動して、明るい開放絞りを通して被写体と向き合うのもまた楽しい。んん、たまるか。

そんな話はさておき。

かわいいなあ、うちの子(←犬バカ)。

フレンチブルドッグ at home

20070827-DSC_5340.jpg
Nikon D80, Nikon Ai AF Nikkor 35mm F2D
F2, 1/15s, ISO:280

 室内・手持ち・絞り解放(F2)で撮影。ISO感度は、D80の自動調整機能により280に設定。単焦点標準レンズの本領発揮的な写真ではないかと。

 よーく見ると、ピントが鼻に合っていて、目がほんの少しだけピンぼけしている。さすがに絞りF2でこれだけ近づいて撮ると被写界深度が思いっきり浅くなる。

 そんなことはさておき。

 かわいいなあ、うちの子(←犬バカ)

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

これは・・・、いい。これまで読んだ自己啓発・成功法則本のなかでも最強の部類に入るほど、いい。

カフェで一気読みしたのだが、途中何度かツボにはまり、笑いをこらえるのに必死だった。その上、ラストではグッと来るものがあり、涙をこらえるのに必死になってしまった。困った。家でじっくりと読むんだった。まあ、これから何度も読む本になるとは思うけど。

自己啓発や成功法則系の本は、読んだ瞬間は気持ちが盛り上がり、やる気が起こるものだが、長続きしないことが多い。読んで満足ってパターン。これ、本当に多い。読後あれだけ盛り上がったのに、内容覚えてないとか。ありがち。よくある。

本書では、「ガネーシャ」という像の形をした関西弁で禁煙できないメタボでぐうたらなインドの神様(どんな神様だ・・・)が、成功を願う普通のサラリーマンにあれやこれやと課題を出していく。著者の水野氏としてはガネーシャの出す課題を読者にも実践してほしいと願っているとは思うが、この二人の掛け合いが絶妙すぎて、実践せずに一気読みしてしまった。それは正に息をつかせぬ(ポストイットを貼る手間を惜しむほどの)一気読みだったのだが、笑いと涙という感動で、本書に書かれている内容が、しっくりとしっかりと自分の中に残っている。これはすごい。

そして、ガネーシャの出す課題も決してハードルの高い課題ではなく、むしろ今すぐにやれるものばかり。しかもどれも目新しいものではない。それは、ガネーシャ自身も言っている。

「ワシが教えてきたこと、実は、自分の本棚に入ってる本に書いてあることなんや。ワシの教えてきたことには何の目新しさもないんやで」(P.246)

そう、ガネーシャの言っていることは、僕がこれまでに読んだ本にも書いてある。ガネーシャと主人公である「僕」の絶妙なやり取り(漫才)に引き込まれて一気に読んできたが、このガネーシャの言葉で、我に返る。自己啓発や成功法則の本を読んで、興奮して、これで自分は変われると自信を持つ、そして忘れる、という、これまでに何度も繰り返してきたパターンに陥っている自分に気づくのだ。そして、自己啓発や成功法則の本を読んで自信をもつのは何故か?という「僕」の問いに対するガネーシャの答えがガツンと響く。本書の真骨頂は、ここから一気に加速していく。

その真骨頂さえも、全く目新しいことを言っているわけではないのが、本書のまたすごいところ。それでも何故こんなにも、行動を起こさずにいられないのだろうか。それはきっとガネーシャだから、としか説明のしようがない。

迷わず読めよ、読めば分かるさ。

Stand by Me

スタンド・バイ・ミー コレクターズ・エディション [DVD]初めて観たのは小学校か中学校の頃。それから、これまでに何度観ただろう。観るときの年齢や、自分の状態・状況によって、毎回違った「Stand by Me」になる。

今日の「Stand by Me」も、今までになく感慨深く観ることが出来た。「少年の頃」に戻れるようなノスタルジーとしてだけではなく、一生楽しめる作品だな、ということを再認識。

将来、自分の子どもがクリスやゴーディーと同じ頃の歳になったら観せてあげたいな、と思える作品の一つ。そんなことを思うようになってきたんだな、僕も。

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

「原爆投下はしょうがない」と原爆を落とされた国の防衛大臣が発言し、「原爆の使用が終戦をもたらし、何百万人もの日本人の命を救った」と原爆を落とした国の核不拡散問題担当特使が発言する。こういう人達は、本書の写真が伝えてくれているような、原爆の恐怖について何を知っているのだろうか。それを知ったうえで、このような発言がなされているとは人として思いたくはないが、こういう人達は、少なくとも、私のような勉強不足で若輩者より、原爆投下によって何が起こるのか、よく知っているはずだ。

原爆を肯定するような発言は決して許されるものではない、と思ってはいたが、本書を読み、真実を捉えた原爆投下後の日本と日本人の写真を見て、その思いはさらに強くなった。強くなるとともに、切なさとか、悲しさとか、怒りとか、やるせなさとか、そういう色々な感情が沸き起こる。そして、誰かの発言云々をどうのこうの言うより先に、自分自身がまず、原爆が投下された歴史上唯一の国の人間として、それとどう向き合うべきなのか考えなければならないということを、本書の写真から思い知らされた。

「どう向き合うべきなのか」-。そう思いつつ読んでいて心に残った言葉が本書に書かれていたので紹介する。本書の写真を撮影したジョー・オダネル氏が終戦後間もなくの福岡で出会った「奇妙な老人」の言葉である。

「息子のような君に言っておきたいのだが、今の日本のありさまをしっかりと見ておくのです。国にもどったら爆弾がどんな惨状を引き起こしたか、アメリカの人々に語りつがなくてはいけません。写真も見せなさい。あの爆弾で私の家族も友人も死んでしまったのです。あなたや私のように罪のない人々だったのに。死ななければならない理由なんて何もなかったのに。私はアメリカを許しますが、忘れてくれといわれてもそれは無理です」 (P.46)

そして、米従軍カメラマンであったジョー・オダネル氏は、私用カメラで撮影した写真をトランクに入れて持ち帰り、43年後にそのトランクを開ける。

今、私たちにできることは、決して忘れないこと。私たちは、もっと知らなければいけない。そして、忘れてはならないのだ。

Umm, you know, I mean…

 ああ、これ、見事に陥ってるな、俺。

「you know」「I mean」とかを会話の間に挟むとカジュアルでネイティブな雰囲気がでるんですが、やりすぎるとバカっぽいです。できれば言う癖をつけずにおいた方がいいです。(癖になった後で矯正するのは大変なので。)On Off and Beyond: 英語がちょっと上達した人が陥りがちなコト

 「You know」は、どちらかというと、カジュアルな感じが出るかな、と思って使ってることが多いなあ。「そんでさ・・・、」って感じ。

 You know, 「I mean」は、話のつなぎとして使ってるかなあ。「つまりさ・・・、」って感じ。

 I mean, ちょっと英語が上達したと思い込んでる俺は、見事にこれに陥ってるわけだ。振り返ってみると、確かにバカっぽい。You know, しかも癖になってしまう。特に、「I mean」は便利に使える(ような気がしている)ので。気を付けねば。

See also

大人問題

大人問題

絵本作家、五味太郎氏による大人論であり子ども論でもある本書。軽い語り口で書かれてはいるが、鋭い。こんな大人にはなりたくな い、と子供の頃に思っていた「こんな大人」にいつの間にかなってしまっていることに気付き、読んでいて痛すぎる。大人にとっての子供とは、子どもにとっての大人とは。大人と子供、教師と生徒、親と子、そう簡単には割り切れない深いテーマを深くて多眼的な観察眼とシンプルな言葉で論じている本書から、考えさせられることは多い。

五味太郎氏は、子どもを「新人」「ルーキー」という言葉でとらえるのが好きだという。

ぼくは子どもをとらえるときに、「新人」「ルーキー」という言葉でとらえるのが好きです。彼ら新人、ルーキーをずっと見ていると、なんかとても楽しいのです。自分もそうだったんだけど、「こいつ、これから何をするんだろうか」という感じの楽しさ。あるいは「いつ化けるかな」という一種の緊張感。そういう見方、とらえ方、つき合い方、この社会にはあまりにも少ない気がします。(P.155)

この考え方には、思いっきり共感する。

子どもと接するなかで、大人は分かったつもりで、自分たちの経験や何かの本から得た知識をベースに、子どもを理解しようとする。そして、分かってなくても、分かったつもりになる。そうやって出来上がっていく子ども像のなかで、子どもは苦しんで、そんな子どもを理解しようとまた大人は分かったふりをする。

子どもを理解しようとする姿勢は、どんな大人でも持っているとは思うが、自分の常識だけで分かったつもりになるのは、子どもに対して真剣に接しているとはいえない。かといって、どうせ分からないからと、それを放棄するのもまた違う。では、どうするか。本書には、それをじっくりと考えるためのヒントが満載されている。

それでも、五味太郎氏はまだまだ言い足りないようだ。本書は何度か読みたいと思える良書ではあるが、続編『さらに・大人問題』も読まなければ。

ニッパチ通し標準ズームレンズ

20070530-DSC_1397

35mm単焦点レンズの魅力(参照)をツラツラと語った舌の根も乾かないうちに、ニッパチ通しの標準ズームも悪くないな、というか欲しくなってきてしまった。困ったものだ。

銀塩一眼レフで写真を撮っていた頃は、50mm標準レンズがメインレンズであったことは前に書いたが、それはそれとして、実は広角レンズも好きだったりする。35mm判換算で28mm辺りの画角が好みだ。当時は、28mmの交換レンズを持つ代わりに、リコー GR-1をセカンドレンズ兼セカンドカメラとして使っていた。やはり単焦点を使いたいっていう気持ちが強かったのだろうなと思う。

そんなことを考えていると、いつの間にか、AmazonでRICOH デジタルカメラ GR DIGITALII 1000万画素 GRDIGITALIIをショッピングカートに入れてしまうのだが、ここは一度踏み止まって、D80用交換レンズとして広角レンズを考えてみる。

単焦点レンズがいいとは言いつつも、広角側なら広角~標準くらいの幅をカバーした標準ズームと呼ばれるレンジのレンズがいいな、と思ってしまうのだ、これが。まあ、その辺りは深く考えずに見ているとTAMRON SP AF 17-50mm F2.8 Di II LD Aspherical [IF] デジタル専用 ニコン用 A16Nが網に引っかかる。ズーム通してF2.8、最短撮影距離0.27m、計量・コンパクト、そしてコストパフォーマンスも高い(実売4万円弱)。ネット上の様々な情報を見ても、非常に評価の高いこのレンズ。本気で欲しくなってきた。

こうやって、人はレンズ沼にはまっていくのだろうな。