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国家の罠

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

「国策捜査」とは何か。そして、著者の佐藤氏が巻き込まれた(という表現が本著を読んだあとは合っているように思う)「鈴木宗男事件」として知られる「国策捜査」の目的は何だったのか、なぜ、鈴木氏がターゲットとされたのか、西村検事との取調べ記録や著者自身の思索を通して明らかにしている。

国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だ、と西村検事はいう。

これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。(P.287)

では、「鈴木宗男事件」を作り上げることで、時代にどんな「けじめ」をつけようとしていたのか。それを、佐藤氏は「内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換」、「外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換」という二つの線で「時代のけじめ」をつけるためだ、と結論する。そして、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいたために、ターゲットとなったと続ける。

本著におけるクライマックスというか、一番の読みどころはこの辺りではないかと感じた。佐藤氏のいう内政・外交における二つの転換にいたるまでの佐藤氏の思索も非常に読み応えがあり、勉強になる。

「国策捜査」が「時代のけじめ」をつけるために行われるとしたら、事件のたびに明示的なターゲットはいるとしても、パラダイム変換を起こし国の方向性を変えていくことで影響をうけるのは我々国民であり歴史なんだろうな、つまり国策捜査のターゲットとは最終的には国民であり歴史なんだろうな、なんて考えてしまったりもする。

本著で書かれている「鈴木宗男」像は、事件当時に報道され世間一般で知られるようになったそれとは大いに異なる。いかに、当時の(そして今も)報道が稚拙で扇動的であったか思い知らされるとともに、そのような報道があれだけの世論の盛り上がりを作ったということに空恐ろしささえ覚える。

本著は、そんな加熱した報道とは全く別次元で書かれている。全編にわたり、常に冷静で客観的な語り口。無論、事件の当事者である佐藤氏自身の言葉で書かれているので、すべて客観的とは言えない部分もあるかもしれないが、著者が見聞きした事実を出来る限りの範囲で世に知らせる、歴史に残そうとする姿勢が滲み出ている。それは検事との取調べにおいても徹底されていて、容疑を否認するも黙秘はせず、検察側の思い描く絵(事件) を書き上げるのを助けるような妥協した供述をするでもなく、真実を述べることで歴史と真剣に対峙する道を選んでいる。そういう姿勢が、512日間という長期の拘留につながるのだが、その拘留期間さえも、強靭な精神力と知的好奇心で、語学・哲学・神学の勉強や思索をして過ごし、自己研磨の場としてしまう。

インテリジェンスオフィサーとしての能力も去ることながら、佐藤氏のそのような精神的強靭さや知的レベルの高さに圧倒されつつ読了した。そして、「鈴木宗男事件」の真実を通して、政治や報道、外交、国家、そういったことに対する考え方が大いに変わった。それだけではなく、読み物としてもグイグイ引きこまれてのめり込める。最近読んだ本のなかでも特に面白く得るものの多い本であった。

超地域密着マーケティングのススメ

超地域密着マーケティングのススメ (アスカビジネス)

「お客様の人生の登場人物になる」

これが本著のエッセンス。このキーワードを軸に、数多くのマーケティング本と昔ながらの地域に根差した商売手法を融合したのが、本著のタイトルでもある「超地域密着マーケティング」。そのマーケティング手法が著者の実体験を通して紹介されている。そこには、お客様との関係をいかに大切にするかという商売の本質がある。

地域における商売の基本は、やはり、お客様との人間関係のようだ。人間関係というと、何となく冷たいというか客観的な感じもするが、要は「ご近所付き合い」ということだ。その「ご近所付き合い」を通して、お客様との関係を大事にすることで、そのお客様の人生の登場人物となっていく。

妻の実家では、東京のある下町で30年近く小さな喫茶店を営んできている。まさにその地域に根差したこの喫茶店にくるお客様はほとんどが顔見知りで、マスターはほとんど全員のお客様の特徴を知っている。「この人は、この時間にきて、これを飲む」とか、「あの人は、話し出すと長い」とか。近くの商店街に買出しにいっても、みんな顔を知っているし、お互いにサポートしあっている。大きな商売をやるのもいいが、こんな風に地域に根差して、お互いがお互いを知った仲で、助け合いながら商売をしていく、というのがそもそも「商い」と呼ばれているもので、そこには「人とのつながり」が土台として存在している。

どんなに大きなビジネスをしていようとも、根本にあるのは、「商い」であり「人とのつながり」であるということを忘れてはならない。それを忘れてしまっている会社が、変な不祥事を起こしているんだろうなと思う。そういう会社の経営者は、「商い」「人とのつながり」の基本を教えてくれる本著をまず読んでみたらどうか。

数学的センスが身につく練習帳

学校の算数・数学の授業だけでは知りえないような、算数・数学のトリビアが満載の本著。お父さんと子供の会話形式という本文が分かりやすく、加えて各トリビアのまとめや図表が理解をより助けている。

「数学的センスが身につく」と題しているだけのことはあり、本著を一読するだけでも、少なからず数学あるいは数字そのものに対する考え方が柔軟になると同時に深くなる。「本書は小学生レベル」(「はじめに」より)と著者の野口氏は述べているが、その読者対象は決して子供に限っているわけではなく、むしろ頭が凝り固まった数学的センスのない大人こそ読むべき本のように感じた。

なかでも、速算術として紹介されている複数桁どうしの計算方法などは、知っていて損はない。インドでは、かけ算の「九九」が二桁あるという話をどこかで見聞きしたときに、ただ全てを暗記するだけではなく、数字のトリックとも言える様な計算方法をインドの人はセンスとして身につけているんだろうなと感じたものだが、恐らく本著で取り上げられているような速算術もそのひとつとなっているんだろうなと思う。

「センス」という言葉には、感性とかそういった感覚的なニュアンスが含まれていて、ものによってはセンスの磨きようがないものあるかもしれないが、「数学的センス」に限っては、こういったトリビアをどれだけ知っているか、ということがセンスを磨くうえでとても重要になってくるように思う。そういう意味でいうと、本著を読むことで数学的センスは確実に身につく。

個人的には、数学的各トリビアよりも、第4章「論理的思考を身につけよう!」で紹介されているような「パラドックスの話」や「じゃんけん必勝法」等が楽しめた。また、第3章「算数脳を鍛えよう!」で紹介されている「ミツバチの巣穴」は自然界にも存在する数字の不思議としてとても興味深い内容だった。

本著の内容は、ぜひ子供たちにも伝えたいところだが、子供に伝える前に、まずは親が本著を読んで、算数・数学・数字そのものを楽しみ好きになることだ。自分自身が楽しめないようなことを、子供に教えようとしたり、やらせようとするのには無理が生じてくる。

「数字は苦手」という人でも大丈夫。「紙を50回折るとどうなる?」という問いに対する答えを知りたいと思う気持ちが少しでもあれば、充分数字を楽しめる。答えは本著42ページにて。


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書評/サイエンス

インテリジェンス 武器なき戦争

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

読了。

佐藤、手嶋両氏の著書を読んだことがほとんどなく、外交や国際政治、国際情勢なるものにはまるで興味がなかったにも関わらず、途中で投げ出さずに読み切れた。諜報(スパイ)活動関連の話が個人的には面白い。また、イラク戦争に関して、これまで見聞きしてきた報道とは異なる事実(見解)を知ることが出来たのには意味があった。獄中記を読んだときも思ったことだが、TVや新聞の報道、しかも日本のそれだけを見聞きして、世の中知った気になるのは本当に危険なことだ、と実感。

本著も、獄中記同様、佐藤氏の関連著書や手嶋氏の著書を読んだあとに再読すれば、全く違う読了感を得られることと思う。

インテリジェンス云々もそうだが、こういった本から国際情勢や国際社会において日本がどういう位置にいて今後どう向かっていくのか、いくべきなのか、等々を思索することが何だかとても大事な気がする今日この頃。

というわけで、しばらく佐藤、手嶋両氏の著作を読みふけってみようかと。まずは↓辺りから。

心にナイフをしのばせて

心にナイフをしのばせて

はてな伊藤直也氏の以下のエントリーを読み、ならば自分でも読んでみようということで。

直也氏のエントリーで紹介されている以下の記事も合わせて本著を読めたことは意味があった。

直也氏の言う「情報操作」云々を著者が意識していたかどうかは別としても、精神鑑定書が公にアクセス可能なのにも関わらず精神鑑定書を全引用せずに、全く別の印象を持たすような引用をしていることには違和感を覚える。本文の中では全引用できなかった(しなかった)としても、せめて参考文献として高校生首切り殺人事件 精神鑑定書を全文掲載すべきだったのでは、と思う。あえてそうせずに、断片引用したところに著者による何らかの意図を感じざるをえない。

また、個人的には、「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法で本著が書かれていることにも疑問が残る。著者の言葉あるいは語り口をベースに遺族及び遺族関係者とのインタビューという構成で本著を書き上げたほうが、よりリアリティは増したのではないか。「一人称で語る」ことにより、かえってリアリティが失われてしまったように感じるのは僕だけだろうか。

精神鑑定書の引用方法や「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法によって、本著に登場する人物(犯人も含めて)の性格や人格が作られている。著者が伝えたかったこと(結局のところ、本著で著者が一番伝えたいことが何だったのか、僕にはよく分からなかったのだが)をより伝えるためにこういう手法を取ったのだろうから、それはそれでそういうものだと認識して読むべき類の本ではあると思う。

ただ、取り上げているテーマがテーマだけに、著者の思いが強く反映されていると思われる本著や「28年前の酒鬼薔薇事件」等の宣伝文句だけを見て、本事件と事件その後を知った気になるのは危険だ。それはもっと深いだろうし、単純に理解できるようなものではないはずなのだから。

獄中記

獄中記

5月末から6月頭にかけて約二週間ほどイギリスとイスラエル出張に行ってきた。飛行機の移動も長いし、何かじっくり読める本を持っていこうということで、以前に購入して手をつけずにいた本著を持っていくことに。正直、神学や哲学に関する著者の思索は、僕にとっては非常に高度であった。読み始めてすぐにそれに気づいたのだが、時折はさまる脚注を追いながら、何とか出張中(といっても帰りの飛行機の中)で読了した。

日記や弁護団への手紙、あるいは友人、外務省の後輩への手紙という形で、国策捜査や、神学、哲学に対しての著者の思索が本書ではまとめられている。それらは著者のいわゆる「塀の中の知的生活」を総括したアウトプットとも言えるもの。著者の「塀の中の知的生活」は凄まじい。以下、Amazono商品紹介より抜粋。

初回公判まで接見等禁止措置が取られる中で、4畳の独房で紡いだ思索を克明に記す。著者は拘置所で、それまで「腰を据えてしたかったけれども、時間に追われてできなかった」ことに取り組んだ。神学や哲学の古典をじっくりと読み、ドイツ語やラテン語の勉強に励んだ。学術書を中心に約250冊を読破し、原稿用紙5000枚、大学ノート62冊のメモをまとめている。

Amazon.co.jp: 獄中記: 本: 佐藤 優

これほどの「知的生活」を通してまとめられた本著を、通読したとはいえ、今の僕の知識でその内容を消化しきることは難しい。

著者が「国策捜査」と断じる著者自身や鈴木宗男衆院議員の逮捕に関する一連の「事件」についてTVや新聞のニュース程度の知識しか持ち合わせていなかった僕は、恐らく他の多くの「一般人」同様、著者と鈴木宗男衆議議員に対して悪い印象しか持っていなかった。本著を読んでいかに自分がメディアの情報を鵜呑みにし、あちら側の思惑通りになっていたかということに気がついた。この辺りについては、著者の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 』のほうがより詳しそうなので、そちらを読んでみることにする。そのあとに、本著をもう一度読んで、著者の思索をより理解したいと思う。

Tarzan特別編集 やっぱり自転車が最高!

Tarzan特別編集 やっぱり自転車が最高! (マガジンハウスムック)
Tarzan特別編集 やっぱり自転車が最高! (マガジンハウスムック)

さっきコンビニで買ってきた。これは買い。

自転車乗り方教室、メンテナンス教室、自転車カタログ、レース&イベント情報等々、盛りだくさんの内容。

今の僕の愛車は、クロスバイクのBianchi Passo君。自転車通勤を始めるときに、思い切って購入した相棒。

そんな相棒を裏切るわけでは決してないが、こういうムック本を見ていると、ロードバイクが無性に欲しくなってくる。マウンテンバイクも面白そう。

そんな悩ましい自転車ライフ。最高だ。

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勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること

勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること

夢・目標を持ち、計画を立て、その計画を毎日の行動計画にまで落とし込み、それを着実に実行していこう、といったような自己啓発の考えの真逆をいく本著。あまりにみもふたもなく、それでいて納得いく内容ばかりで、自己啓発の王道を信じ実行している人は本著は読まないほうがいいかもしれない。

いや、むしろそういう人こそ、読んだほうがいいのかも。本著では、実際に成功を収めている人たちが、いかに自分以外の誰かや何かで成功してきたかの事例が、これでもかと紹介されている。そういう事例から、「世の中そんなもんだ」ということを知りつつ、自己啓発に取り組むのも悪くないかもしれない。

自己啓発、というのは読んで字のごとく、原則的には「自分で成功や幸せを掴む」ための考え方。対して本著では、成功とは他人から与えられるもの、と主張している。

仕事に真面目に取り組み、己を信じ、ポジティブに考えたからといって、成功の階段を上れるわけではない。じつは、成功とは、自分自身にある何かから生まれるわけではない。成功とは、他人から与えられる何か、なのだ。(P.2)

本著で紹介されている勝ち馬の見つけ方や、成功者の事例を読んでいると、なるほど確かに成功は自分以外の誰かや何かが与えてくれるものなのかも、と納得いってしまう。だからといって、躍起になって勝てそうな馬を探し始めるのは、ちょっと格好悪いな、と個人的には。

ただ、自分自身にばかり眼を向けず、もっと視野を広くもっていてもいいんだろうな、とは思う。世の中には、様々なチャンスや発見が転がっているもの。自分ばかりに眼が向いて視野が狭くなっていると、そういうものを見逃してしまうことだってある。そういうチャンスや発見との出会いは、自分の幅を広げ、人生をより楽しくしていったりもするかもしれない。

目標を決めるとは、人生の神秘と興奮を奪うことでもある。パブロ・ピカソは言っている。「自分の望みがわかっていると、おそらくそれしか目に入らない」と。(P.13)

俺が黒字にしてみせる!

俺が黒字にしてみせる!

2001年当時どん底第三セクターだったしなの鉄道を、2002年6月の社長就任からわずか二年間で黒字化し、信州のカルロス・ゴーンと呼ばれた杉野正氏による、シンプルで骨太な経営論、仕事論。

「仕事をする上で大切なのは結果」という明確なメッセージが杉野氏の説く仕事論の軸になっている。それは結果を得るためには変化を恐れるな、という以下の文からも強く伝わってくる。

「仕事で一番大切なのはあきらめず、結果を残すこと。そのためには、一度決めたことでも変更するようなしなやかさが必要だ。結果のためなら、変更はおろかプライドまでも捨てる執念がないと絶対に仕事を成功させることはできない」(P.122)

本著で紹介されている、杉野氏がしなの鉄道で実行してきた改革においては、社員や取引先に強い変化を強いた。それまでは常識・当たり前と思われていた取引先との契約内容をすべて見直し、無駄を排除し、経費削減・利益確保を実現している。そういう強力な変化を起こし結果を残すことは、仕事をしていく上でのひとつの醍醐味といえる。

もちろん改革には常に痛みが伴うものだが、杉野氏は社員に対して「ほんとつき」でいることで、その痛みを社員と共有している。

状況を包み隠さず伝えた上で、今後会社をどのように運営していくかを、社員全員で考えるべきなのだ。(P.170)

「結果が全て、そのためにはどんな変化も受け入れなければならない」、という強いメッセージを発しつつ、社員に嫌われながらも仲良し社長の道を選ばず、本当の意味で社員のためを思い行動している、そんな杉野氏の強さと思いやりが伝わってくる本著。最近仕事がマンネリ化して停滞気味かも、なんて思っているサラリーマンの目を覚ます、そんな一冊。

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