はてな伊藤直也氏の以下のエントリーを読み、ならば自分でも読んでみようということで。
直也氏のエントリーで紹介されている以下の記事も合わせて本著を読めたことは意味があった。
直也氏の言う「情報操作」云々を著者が意識していたかどうかは別としても、精神鑑定書が公にアクセス可能なのにも関わらず精神鑑定書を全引用せずに、全く別の印象を持たすような引用をしていることには違和感を覚える。本文の中では全引用できなかった(しなかった)としても、せめて参考文献として高校生首切り殺人事件 精神鑑定書を全文掲載すべきだったのでは、と思う。あえてそうせずに、断片引用したところに著者による何らかの意図を感じざるをえない。
また、個人的には、「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法で本著が書かれていることにも疑問が残る。著者の言葉あるいは語り口をベースに遺族及び遺族関係者とのインタビューという構成で本著を書き上げたほうが、よりリアリティは増したのではないか。「一人称で語る」ことにより、かえってリアリティが失われてしまったように感じるのは僕だけだろうか。
精神鑑定書の引用方法や「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法によって、本著に登場する人物(犯人も含めて)の性格や人格が作られている。著者が伝えたかったこと(結局のところ、本著で著者が一番伝えたいことが何だったのか、僕にはよく分からなかったのだが)をより伝えるためにこういう手法を取ったのだろうから、それはそれでそういうものだと認識して読むべき類の本ではあると思う。
ただ、取り上げているテーマがテーマだけに、著者の思いが強く反映されていると思われる本著や「28年前の酒鬼薔薇事件」等の宣伝文句だけを見て、本事件と事件その後を知った気になるのは危険だ。それはもっと深いだろうし、単純に理解できるようなものではないはずなのだから。