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すっきりしない読了感 – 「扉は閉ざされたまま」

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

昼休みに会社近くのブックファーストで購入し、その日のうちに読了。

「倒叙物」*1であるこのミステリーには、探偵や刑事は登場しない。主人公(犯人)の大学時代のサークル仲間の妹で頭脳明晰な碓氷優佳が探偵役になる。碓氷優佳は密室のトリックだけではなく、なぜ密室にする必要があったのか、そしてこのミステリーでキーとなる殺人の動機は何なのか、まで見抜いていく。「倒叙物」のミステリーとして、非常にスリリング。犯人の視点で物語が書かれているので、緊張感・臨場感がすごい。

が、個人的には、すっきりしない読了感。いくら頭脳明晰といってもそこまで全部分かっちゃうのか、とか、動機が何だかな、とか、結局犯人は捕まらないってこと?それはどうなの?、とか、そんな感じのもやもやが残る。

まあ、「倒叙物」ミステリーとして面白いから御の字か。

*1:ドラマ「古畑任三郎」のように、読者は最初から犯人が分かっていて、それを探偵あるいは刑事役が暴いていく、というもの。

宮部みゆき「火車」と東野圭吾「百夜行」の共通点

先日読み終えた(参照)宮部みゆき著『火車』と、昨年12月のマルタ出張中に読んだ東野圭吾著『白夜行』の長編ミステリー二冊には、大きな共通点がある。どちらの作品も、物語の中心となっている人物の心情描写が一切ないのだ。

白夜行』を読んでいるときに、主人公二人の心情描写が一切ないことに驚愕していたが、『火車』でも物語のキーとなる女性の心情描写が一切描かれていない。にも関わらず、あれだけの人物像を読者の心にくっきりと残している。

今は『火車』を再読中だが、この辺りを意識して読むと、また面白い。

See also

白夜行火車

ラスト一行に脱帽 – 「火車」

火車

いやホント、ラスト一行が素晴らしすぎる。有名なミステリーだし、Amazonのページにはどういった内容のミステリーか載ってるので、ここでは内容について触れないけど、ミステリーとしては一気に読ませつつ、社会あるいは経済小説的な部分も含んでいて、ものすごく考えさせる内容だ。

ラストに近づくにつれ、どういうエンディングになるんだろうとドキドキしながら読んだ。小説を読んでいると、ちょっと先を読んでしまう癖があるので、最後のページは次以降の行を指で隠しながら読んだ。

そんな風にして辿り着いたラスト一行。何度も言うけど、素晴らしい。素晴らしいというか、個人的にはすごく好きな終わり方だ。これまで読んできたミステリーの中でも群を抜いている。この一行を読んだ後、しばらく放心、そして即再読せずにはいられない。

もしこれから本著を読む人が居たら、途中で最後の一行を絶対に読まないように。間違って読んじゃった、ってのも絶対になし。どんな小説でもそうかもしれないが、特に本著の最後の一行を途中で読んでしまったりすると、大げさでも冗談でもなく一生後悔すると思う。お気をつけて。

今夜は震えて眠る – 「犯人に告ぐ」

犯人に告ぐ

先月行ったマルタ出張の行きの飛行機で読みきった本著。文庫版を成田空港で購入して、10日間の出張中にちょっとずつ読もうかなと思っていたのだが、行きの飛行機で読み始めて、そのままノンストップで一気に読み切ってしまった。おかげで行きの飛行機は退屈しなかった*1

一気に読みきったというくらいなので、面白かったは面白かったのだけど、何となく物足りなかった。いや、本当面白いんだけど、個人的には何かが足りなかった、かなあ。んん、それが何かは分からないんだけど。何だろうな、リアリティというか何というか。特に終盤。犯人を追い詰めるきっかけとなった「犯人の手紙」辺りのくだりとか、犯人を特定する場面とか。まあ、感じ方は人それぞれだとは思うので、何とも言えないけども。僕はそう感じた。

けど、一気に読ませる文のテンポや物語の展開は、ものすごく楽しめた。映画版(参照)も観てみたい。

文庫版

僕が購入した文庫版の表紙は映画版で主役を演じる豊川悦司。読んでいて豊川悦司の顔が浮かぶわ、主人公の台詞は全て彼の声に変換されてしまうわで、何だかちょっとなという感じだった。映画化されたあとなので、こういう表紙になるのは分かるんだけど、小説内のキャラクター像が読む前から出来上がってしまうというのが個人的にあまり好きではないなあ。そういう先入観のようなものなしで読み進めていくうちに、段々とキャラクター像が自分の中で作られていく、というほうが断然面白い。

DVDも発売される

映画版は、DVDで観るかな。

↑僕が買った文庫版の表紙がこのパッケージと同じもの。インパクトはあるけどなあ。

*1:というのはちょっと大げさか。何せ、フランクフルト経由で乗り継ぎ含めて計20時間近い移動だったのだから。

奥が深い照明リフォーム

頭がよくなる照明術 (PHP新書)

来月引っ越す先のマンションは、築32年。色々な事情があって、これだけ古い賃貸マンションに引っ越すことになったのだが、賃貸でできる範囲のリフォームをして、リラックスできて居心地のいい家にしようと、奥さんと二人で楽しくリフォーム計画中の今日この頃。

そんななか、やっぱり照明も大事だよね、ということで、前から気になっていた『頭がよくなる照明術 (PHP新書) 』を読んだ。「頭がよくなる」と冠しているだけあって、単なるリフォームではなく、「灯り脳」や照明と睡眠の関係、そして「モテ明かり」なるものまで書かれている。が、今回は特にリラックスできる照明リフォームについて知りたかったので、第一章以外はすっとばし読みをした。睡眠に関する辺りは面白そうだったので、また別の機会にじっくり読もうと思う。

さて、本著では「光を自分のものにする三つのポイント」として、(1)光の色、(2)光の高さ、(3)光を当てる場所が挙げられている。(1)光の色、(3)光を当てる場所については、これまでも何となく意識はしていたが、(2)光の高さによって、部屋の雰囲気はもちろん、人の気持ちまで変わってくるというのはなるぼどなあと思った。

光の高さには、以下の三つのパターンがあると本著では紹介されている。(P.45)

  1. 高い位置からの光 ⇒ 人の気持ちを活動的にする位置
  2. 低い位置にある光 ⇒ 人をリラックスさせる位置
  3. 中くらい位置にある光 ⇒ 高低の位置だけを光らせたうえに、この位置の光を加えると、空間を立体的に美しく見せる

これは昼間太陽が高い位置にあると活動的になり、夕焼けを見たときに気持ちが安らぐ、というのと同じ心理現象である、とのこと。納得。

照明リフォーム、なかなか奥が深い。素敵な空間を作っていこう。

See also

照明リフォームでお部屋の模様替え―たった数千円からできる明かり術 (小学館実用シリーズ LADY BIRD)

偏りすぎな読書傾向

 溜まった積読本や読み終えてもう読まないであろう本をブックオフに売るために整理した際に(参照)、持っている本がかなり偏っていることに気付いた。自己啓発系の本がやたら多い。我ながら気持ち悪いなと思いつつ、売る本・売らない本を選別していったのだが、今回売る本の7割近くは自己啓発系の本で、20冊ほど残すことにした本のうち、自己啓発系の本は5冊もない。

自己啓発系の本には読みやすい本が多いし、読むとその瞬間は気持ちが盛り上がるから何か達成感があったりするんだけど、その内容をほとんど覚えていない、あるいは覚えていたとしても継続的に実践していないところが、これまた我ながら気持ち悪い。本を読んだら、特に自己啓発系やビジネス書系の本を読んだら、その内容から自分の考え方だけではなく行動まで変わらないと、その本の内容を本当に理解したことにはならない、と今は思っている。が、これまでは、本から何かを得たいのではなく、読書そのものが目的になっていたことは否めない。意味なさすぎだな、これは。

 自己啓発系やビジネス書の類は、読後に自分の行動が変わるような読書じゃないと意味がない。その本の内容を「知っている」と「している」の間には、雲泥の差がある。これからは、読む本の偏りをなくし、つまり、自己啓発系の本は極力読まないようにして、それ以外のジャンルの本を意識して読んでいくことに決めた。そして、読書後に何か自分の行動を変えたいと思うような本に出合えたら、「知っている」の先、それを「している」ところまでいかないと意味がないことを忘れないようにしたい。

 と、そういう意識とは別に、エンターテイメントとして単純に楽しむ読書ももっともっとしていこうと思う。

積読本を積んどかないことにした

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 昨年から図書館を積極的に利用するようになり、本をあまり買わなくなった。と言っても全く買わなくなったわけではないのだが、買った本はほぼ100%読むようになり、未読の積読本がたまることがなくなってきた。

 そんな状態に慣れてくると、これまでに溜めてきた未読の積読本や、一度読んでもう読まないであろう本が部屋に居座っているのが我慢できなくなってくる。処分しなきゃなあ、と思いつつなかなかタイミングを掴めずにいたのだが、来月引っ越すことになったので、この機会に一気に処分することに。

 ずっと居座り続けていた本の中から、この本は手元に置いときたいと思う本のみを残し、あとは全部ブックオフに売りに出すことに。本の選別はあまり深く考えるとまた処分できなくなりそうなので、「いつか読みたくなるかもな・・。」とかは考えずに、「選別をしているこの瞬間に読みたいか、あるいは再読したいかどうか」という問いに「YES」となるものだけを残した。そうして20冊程度残ったのだが、面白いことに未読本で残ったのはほんの二、三冊で、ほとんどが既読で再読したい本だった。

「気になる本は迷わず買う」というのを自己啓発本か何かで読んだ影響で、ここ2年ほどちょっとでも気になった本はすぐにAmazonやリアル書店で買っていたのだが、そうやって買った本というのは、そのとき「気になった」気持ちが冷める前に読んでしまわないと、なぜその本を買ったのかも忘れてしまうものなんだなということに気づいた。それに自分の興味や傾向も日々変わるものなので、今なら絶対買わないだろうというような本も多い。

そういった本もいつかまた読みたくなるのかもしれないが、いつになるか分からない「いつか」のために部屋のスペースを使うのは勿体無いし、未読本というのはそこに過去の自分というか気持ちというか何かそういうもんが打ち込まれているようで、前に進めないような気がするというか流れが澱んでしまうというかなんというか。とにかくあまりいい影響が無いもんなんだなあと、今回未読本の山を処分したあとの心地よさ、気持ちの軽さを感じて、つくづく思った。

 結局、段ボール6個分の本を売ることに。量が量なので自分でブックオフに持っていくのはきついので、自宅まで売りたい本を無料で取りに来てもらえる宅本便というサービスを利用した。査定結果は後日メールで届く。いくらで売れるんだろうか。

 そんなわけで、これからは読みたい本は基本的に図書館から借りることにして、今後何度も読みたいと思うであろう本のみを買っていくことにする。そうやって、積読・未読フリーな読書生活を送っていきたい。

ひらめきが何より大事とエジソンも言っている

快人エジソン―奇才は21世紀に甦る

本の整理をしていたら、数年前に読んだ『快人エジソン―奇才は21世紀に甦る 』がでてきた。人類の歴史を変えた世紀の天才発明家の実像に迫っている本著を何気なく再読し始めたのだが、これが面白い。

全編興味深い内容ばかりの本著のなかでも、ひとつのハイライトと言えるのが、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力のたまもの」という有名なことばの真意について書かれている部分。

世界の名言集に必ず出てくるエジソンの「天才とは一パーセントのひらめき(インスピレーション)と九十九パーセントの努力(パースピレーション)のたまものである」ということばは、彼の本心通りには解釈されていない。(P.95)

このことば、当時の新聞記者は「ひらめきだけでは天才となれず努力が肝心」と解釈し、それが現在でも広まっている。しかし、エジソンの真意は全く逆だったという。

エジソンは後に「たとえ一パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在を確認できれば、努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと。この発想のリトルピープルの声、すなわち、一パーセントのひらめきが最も重要なのだが、皆このことがわからないようだ」と語っている。

エジソンの実績を見れば、努力の人であったことは否定のしようがない。しかい、霊感(ひらめき)については、その存在が証明しにくいこともあり、重要度が一パーセントにされても、多くの人々が何となく納得したものと思われる。ところが、エジソンの考えは全く逆だったのである。(P.97)

「努力が肝心」ではなく、一パーセントのひらめきが重要でそれがなければ努力も無駄になる、というのが、エジソンの真意だった。その真意がわかると、努力の人だと思っていたエジソンのすごさは、その膨大な努力ではなく、「ひらめき」であるということがわかる。では、その「ひらめき」はどこからきたのか。エジソンは、ひらめきは脳のなかに住む「リトル・ピープル」の声だということを言っている。そして大人になるにつれて、その声に耳を傾けることが困難になるのだと。

メモ魔であるエジソンはこの「リトル・ピープル」の声を逃さず、それがどんなに小さくても滑稽でも突拍子がなくても、メモとして残していくことで、その声から発明へとつながるひらめきを掴まえていったのだと思う。エジソンが残したメモや記録は500万枚以上、アメリカで国家プロジェクトとしてそれを分析・解析している。これほど膨大なメモを残したエジソンは、「ひらめき」の重要性を深く深く理解していたのだと思う。

「リトル・ピープル」の声は、誰にでも聞くことができる。というか聞こえているはずである。ただ、その声(ひらめき)をくだらないから、小さなことだから、と聞こうとしない、記録に残そうとしないだけだ。どんなに努力しても、ひらめきなしでの努力は無駄になってしまう。努力するのは当然、そしてその努力を実にするためにも、一瞬一瞬のひらめきを聞き逃さす、書き残していくことが大事なのだ。

エジソンのかの名言には、そんな学びが込められている。

次回のレッスンは絵本読み聞かせ

Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?
Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?

こども英語の定番絵本のひとつ。この本を読み聞かせたあとに、別途準備する本文をカラーコピーして作るカードを使ってアクティビティを行う予定。

この絵本は、「What Do You See?」「I see a ○○ looking at me.」というセンテンスが繰り返されるので、それらのセンテンスを導入することもできるとは思うが、今回は初めての絵本を使ってのレッスンだし、センテンスの導入はもう少し先にして、動物と色、両方の単語を色々と工夫して定着させようかなと思う。本文に出てくる動物と色を組み合わせると結構な数の単語数になるが、絵カードをうまく使って、定着させていきたい。

うまくいくかな・・・。

ほっこりする – 「縁側」

DS文学全集

ダラスでの4日間の研修が終わった。英語漬けでフル回転していた脳みそを少し休ませようってことで、出発前に「DS文学全集」にダウンロードしておいた北村薫書き下ろし小説「縁側」を読む。

10分かからずにさらっと読める。そこには日常の小さな幸せがあって、それがにじみ出てきて、妙にほっこりした気分になる。早く、みんなに会いたくなった。

明日帰国だ。