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日本人の子どもが英語を話せるようになるには

I would like to propose that the Japan Broadcasting Corporation (NHK) add an English channel to its current general and education channels. The channel would no doubt contribute to improving the English ability of Japanese people, young and old.

Dedicate a TV channel to English | The Japan Times Online

 「どうやって、君の国の人たちは、母国語に加えて英語を普通に使いこなせるようになったの?」とイスラエルの同僚に聞いてみたところ、「TVで英語のチャンネルを日常的に放送してるからね。」という回答が返ってきた。イスラエルに限らず、母国語+英語を使いこなす人が多い国では、同様な状況があるっぽい。僕が同僚達に聞いた話から得た感触なので、本当かどうかは保証できないけど。

 そんなわけで、上記引用記事で提案している「NHKに英語の番組を加える」というアイデアには、大賛成である。英語の教育番組等は充実していると思うが、そういうものではなく、CNNやBBC等の純英語圏の番組を放映するということ。そういう番組はBSやケーブルTV、PPV等では普通に放映しているかもしれないが、それらを普通のNHKで見れるようにする、というのがミソ。純英語な番組が、特別な契約や手続きなしで見れるようになれば、英語チャンネルに対する特別感がなくなる。

 大人にとっては、今さらかもしれないけれど、物心ついた頃から、そういう番組が生活に密着しているとしたらどうだろう。特に意識せずに、生活に浸透した純英語番組が増えてくれば、確かにそれだけで、この国全体の英語レベルが飛躍的にあがってくる、と思うのは期待しすぎかしら。

今日は参観レッスン

 今年に入ってから教え始めている子ども英語クラスでは、8回のレッスン毎に参観レッスンを行っている。週一回のレッスンなので、大体二ヶ月に一回くらい。お母さん達に子ども達がどの程度英語を習得しているか、レッスンを楽しんでいるか、というのを見てもらうのと、レッスン後に少しレッスンの感想や意見を伺っている。僕にとっても、お母さん達に見てもらいながらのレッスンというのは非常に緊張するもので、程よいタイミングで気を引き締めたり、これまでのレッスンを振り返ったりできる。子ども達も、お母さん達に自分が英語を学んでいる姿を見てもらうというのは緊張しつつも嬉しいようだ。そんなわけで、参観レッスンは関係する皆にとって、とても大事な行事なのだ。

 そして今日は参観レッスン。子ども達がお母さん達に見られてて明らかに緊張しているのがかわいかった。いつもの大はしゃぎ・悪ふざけ振りはすっかり息を潜めて、ある意味神妙にレッスンを受けているのが微笑ましい。みんながんばって、そして楽しんでレッスンを受けていた。

レッスン後に、連絡事項とこれまでのレッスンで導入した英語素材、そして簡単な内容の通信簿を書いて、お母さん達に配布。その後、子ども達のレッスン中の態度について、こちらの気づいた点、お母さん達の考え等を踏まえて意見交換。なるほどそういう考えがあるんだな、と勉強になる。

 参観レッスンの前は、通信簿や連絡事項等の配布物を準備や、レッスンをお母さん達に見てもらうという緊張感で、かなり気が張っている。その分、無事終了すると少しほっとするのだが、気を抜かずに次回からのレッスンも子ども達ときちんと向き合って楽しくやっていきたい。

Reviewが大事

 今度の土曜日に行う子ども英語クラスのレッスンプランを作成した。大分、慣れてきてはいるが、その分、課題も見えてきている。

 最近悩ましいのが、これまでに導入してきた言語材料のReviewと新しい言語材料の導入を、ひとつのレッスンのなかでいかに分配するか、ということ。レッスン時間は限られているので、あれもこれもとやるわけにもいかないし、子どもの集中力も続かない。レッスンを重ねていくからこそ見えてくる課題ではあるが、かなり頭を悩ませている。

 個人的には、Review(復習)が語学に限らず、どんな勉強においても大事だと思っているので、どちらかというとReviewに多くの時間を割きがちだ。かといって、これまで導入した言語材料を全部Reviewするわけにも当然いかず、どの単語・センテンスを重点的にReviewするか、というのが重要になってくるわけだが、これがまた悩ましい。今の判断基準としては、日常会話でより使うであろう単語・センテンスを定着するまでReviewしていこうと考えている。

 それにしても、やればやるほど課題が増えてくるものだ。悩ましいが、やりがいもあるし、何より楽しい。子どもの笑顔を見る喜びもどんどん大きくなってくる。んん、たまるか。

クラス内の年齢構成

 今年から教え始めている子ども英語クラスの生徒は6名。男子3名、女子3名。うち男子2名が小学校一年生で、残りの4名(男子1名、女子3名)は幼稚園年中さん。全員、英語を学ぶのが初めての子ども達ばかり。小学校一年生と幼稚園年中の子どもが混在したクラスはどうなんだろうと少し不安を感じつつ何度かレッスンを行ってきて、少し難しい場面もあったりしたけど、結構問題ないものなんだなと感じていた。

 そんななか、今日は幼稚園でイベントがあったため、小学一年生二人のみでレッスンとなった。他の子ども達とのカリキュラム上の足並みを揃えるためにレッスン内容は普段の流れからは外したものを行った。主に挨拶等の英会話やアルファベットを書いたりといったような少しだけ高度な内容に取り組んでみたのだが、いくつか発見があり勉強になった。

 小学生だけでレッスンを行ってみると、やはり小学一年生と幼稚園年中の二歳の歳の差というのは歴然とあるのだなと感じる。これまでレッスンで導入してきた天気や動物、色のReviewを行ったのだが、思いのほか覚えているし、スムーズに発音できるようになっていて驚いた。また、アルファベットを書いて覚えるというのも嫌がらずに、むしろ書きたくて仕方ないという感じだ。英語の勉強を始めたのは幼稚園年中さん達と同じ時期であっても、覚えるスピードや興味を持つアクティビティ等に意外と差があるものなんだなと実感。

 その年齢差は、いたずらや勝手な言動をとる頻度等にも無関係ではないところがまた面白い。僕のクラスの場合、小学生一年生二人のほうがいたずらや勝手な言動をとる頻度が幼稚園年中さんに較べて圧倒的に多く、それがひとつの課題ではあった。今日のレッスンでとても興味深かったのが、小学生二人だけでレッスンを行っていると、ほとんどいたずらや勝手な言動をとることがなかったことだ。普段よりも行儀がよく、各種アクティビティも興味を持って楽しんで学んでいた。なぜそんな違いがあるのか、なかなか興味深い。調べて考えてみよう。ゲームの進め方等、今度のレッスンプランニングの参考になりそうだ。

レッスン中のいたずら対処方法

 こども英語のレッスン中に、子ども達がいたずらをすることがよくある。

いたずら、というよりも勝手な行動、と言ったほうがいいのかもしれないが、特に多いのが、ホワイトボードへの落書き。次のアクティビティに移るちょっとした時間などに、ホワイトボードにいたずら書きを始めてしまう。

そのいたずら書きが、本当にただのいたずら(まんが等)の場合、「やめなさい」ですむが、悩ましいのが、自分の名前を書いたりしているとき。たとえそれが日本語でも、5~7歳の子どもが自分から字を書きたいというのは悪いことではないので、やめさせずらい。けど、好き勝手にやらせていては、レッスンの妨げになる。もっと場数を踏んでいけば、そういう状況も対応していけるようになるとは思うのだが、今はまだまだそこまでの余裕がなく、いつも中途半端な対応になってしまう。

この問題の解決方法を、あれこれ考えて結局たどり着いた結論は、「されたらどうする?」を考えるのではなく、「させない」ための物理的な防止対策を施す、ということ。例えば、子ども達の手の届くところにホワイトボード用のペンを置かない、とかそういうこと。こうやって書いてみると、ごく当たり前のことだ。子ども英語先生としての場数がまだ10回未満という駆け出しの駆け出しな僕は、こういう単純で当たり前のことだけど大事なことになかなか神経が行き届かない。

 子どもがレッスン中に勝手な行動を取って困っている場合、しかるだけではなく、その行動をさせないための物理的な対処は何かをまず考えるべきなんだなと、またひとつ勉強になった次第である。

子どもに話を聞かせるには

つまり、「静かにしなさい」という注意の仕方は、子供をしゃべらない性格にしてしまう恐れがあるのだ。 では先生はどのように注意すればいいのか。それは、 「聞いてください」 である。「聞いてください」と注意すれば、

  • 子供は「どのようにすればきちんと聞けるか」を考え、
  • 「自分がしゃべっていると相手の話が聞こえない」と気づき、
  • 「相手の話を聞くときはしゃべらない」という習慣が身につく

という学習ができるのだ。「静かにしなさい」だけでは、しゃべらなくなっても話を聞いてくれるようになるとは限らないし、「しゃべることは良くないこと」だと刷り込まれる可能性がある。

子供に「静かにしなさい」と注意してはダメ – F.Ko-Jiの「一秒後は未来」

 これは、納得。

 子ども英語クラスでも、がやがやしているとどうしても「静かに!(Please be quiet!)」と言ってしまいがちだが、それよりも、「聞いてください!聞きなさい!(Please listen to me!)」と言うようにしていこう。

レッスン中にすねる先生

 子ども英語クラスを運営していくにあたって、いま一番の課題は、子どもたちのレッスン中の態度だと思っている(参照)。先生の言っている英語が分からないというようなこと以前の問題として、レッスン中の態度がよくない子がいる。注意しても分からない子がいる。これは子ども達が悪いわけではなく、僕の先生としての能力が低いから、ということが一番の原因であることは分かっていて、いかにレッスンに集中させるか、ということで頭がいっぱいな今日この頃である。

 そんな課題を抱えながら、今年4回目のレッスンを行ってきた。今回のレッスンでは初めて絵本の読み聞かせを行った(参照)。色とりどりの動物が次々と出てくるこの絵本(Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?)は子どもたちの食いつきもよく、今回のレッスンの目的としていた絵本に登場するAnimals/Colorsの単語の定着は思ったよりうまくいったように思う。

 ただ、今回のレッスンで一番心がけていたことは、いま一番の課題と考えているレッスン中の態度の徹底だった。日本語でもいいから、態度のよくない子はきちんと叱る、言うことを聞かせる、好き勝手させない、ということを強く心がけていたのだが、結果として今回もまた、前回よりは良かったとしても、まだまだまとまりのないレッスンとなってしまった。

 反省点・改善点、あるいは学びとなった点は、毎回のレッスンが終わると山のように出てくるのだけど、今回のレッスンの中で興味深い場面があった。

 それは絵本を読み始めようとしたときのこと。僕が絵本を読み始めようとしているのにもかかわらず、勝手な話をして聞こうとしない子達がいた。何度注意してもやめない、何も言わずに憮然とした表情で待っていてもやめない、「じゃあ、君達は話をしていなさい」といって、その子達以外の子にだけ読み聞かせようとすると「いいよ別に、話してるもん。」なんてことを言う。いい加減困ってしまったのだが、思い切って、「絵本嫌いなんだね。分かった。じゃあ今日は絵本はなし。」と言って絵本をしまってしまった。さらに、「それに今日は絵本をやろうと思っていたから、他になにもやることないよ。」と言ったら、さすがに戸惑った様子になる。そこでもう一度全員に向かって、「絵本聞きたい~!?」と聞くと、全員ではないけど数名の子が「聞きたい!」という返事があった。「OK!じゃあやろう!」と言って、もう一度はじめると、さっきまで勝手な話をしていた子達も「聞くー!」と言って、しっかりと聞くようになった。その後、絵本の読み聞かせ、その絵本に登場する動物カードを使ってのアクティビティと、割とスムーズに展開できた。

 レッスン中に先生がすねてみる、というのが良いことなのか悪いことなのかは何とも言えないところがあるが、今日はそれでレッスンが壊れるのを防ぐことが出来た。きちんと行儀良くしている子達に対しては申し訳ないとも思うが、きちんとしないとレッスンが進まない、行儀良くしているからこそ楽しいことができる、ということを少しでも感じてくれたのでは思う。

 まだまだ、子ども英語先生としても、子ども教育の場に立つ人間としても、経験はもちろん、知識も足りない僕のような者に英語を教えられている子ども達は果たしてハッピーなのか、たまに考えてしまうこともあるが、色々と難しい場面はありつつも、そのレッスンのなかで一言でも笑顔で英語を発音してくれるのを見ると、そんな考えも吹きとんでしまう。いま、僕がやっていることは、子ども達にとって少なくとも無意味なことではないのだな、と。

今一番の課題は

 今年から、こども英語クラスを週一で開催している。生徒のこども達は6名。平日は普段の仕事をしながら、レッスンの準備(レッスンプランとか教材作成とか)を平日夜にやって週末にクラスでこどもに英語を教える、という生活が始まってそろそろ一ヶ月。まだまだ課題が山積みだ。

 色々とある課題のなかでも、今一番の課題は、英語の習得そのものに対してではなく、こどもに何かを教えるという難しさに直面していること。具体的には、レッスン中の態度。好き勝手動いたり話したり、注意しても言うことを聞かなかったり。5~7歳のこども達とはいえ、そして、こども英語の基本は英語を楽しむこと(こども達に英語を楽しんでもらうこと)であるとはいえ、きちんとするところはきちんとしてもらいたいし、させなければならない。

 最初の頃は、そういったことよりも、楽しむこと、英語をとにかくたくさん聞かせることを重要視していたが、ここ最近はそれ以前に、こどもの躾という意味でもレッスン中の態度をよりきちんとさせること、先生の言うことをきちんと聞く子になってもらうこと、ということのほうをより重要だと考えるようになった。それは、レッスン中に好き勝手やられるとレッスンプランがプラン通りに進まず達成目標に届かない、とかそういうレベル以前の問題として認識しているということ。

 なので、向こう何回かのレッスンは、英語の習得よりも、態度指導・躾により注力しようと思っている。それによって、英語の習得に遅れが出ても、それは仕方ないというくらいに割り切っている。なぜ、こどもに英語を教えたいと思ったか、そこに立ち返って考えても、これでいいのだと思っている。

にほんごであそぼ

朝8時からNHK教育テレビで放映しているにほんごであそぼが、言語教育という観点から素晴らしいと思った、という話。

4歳から小学校低学年くらいの子どもを対象に制作しています。番組を通して、日本語の豊かな表現に楽しく遊びながら慣れ親しみ、『日本語感覚』を自然に感じ、身につけてもらうことをねらいとしています。それが、コミュニケーション能力や自己表現力のベースとなると考えているからです。狂言の「型」など日本の伝統芸能の方法論を取り入れつつ、子ども番組ならではの演出も最大限に活かした、ユニークな「言語バラエティ番組」です。また、方言を取り入れて、生きた日本語の「広がり」を子どもたちに感じてもらいたいと考えています。

KIDS WORLD : 番組紹介 : にほんごであそぼ

一度見てもらうとよく分かるが、日本語感覚を自然に身に付けるために非常によく練られていて、大人でも参考になる。これらのプログラムは、そのままこども英語教育の現場にも応用が効きそうだ。

先日見ていて特に感銘を受けたのが、あずましいという、ある地方の方言を紹介している部分。

山の中の温泉らしきものに、あずましいという言葉の一字ずつが、「あずましい~。」なんて言いながら、順番に浸かっていって、最後にみんな(あ、ず、ま、し、い)で一緒にもう一度「あずましい~。」って気持ち良さそうに言う、というもの。

これを見ると、あずましいという方言は、何か気持ちいいときに使うんだな、ということがよく分かる。そして特に素晴らしいと思ったのが、番組では『「あずましい」という方言は「気持ちいい」という意味です』といった説明が一切ないところ。そういう説明なしに、こういった感覚だけで意味を身に付けることができるように考えられている。こどもに英語を教える際にも、こういう方法が一番効果があり、この単語の意味は○○だよ、なんていうことを言うだけでは子どもに定着させることは難しい。

こんな風に、にほんごであそぼには、こども英語教育の観点からもヒントが盛りだくさん。これから欠かさず見たい番組のひとつだ。

ピタゴラスイッチといいにほんごであそぼといい、朝のNHK教育テレビは、こども教育のヒントやアイデアの宝庫だな、ということに今更ながら気付いた次第。

ちなみに、あずましいは北海道の方言らしい。

あずましい(落ち着く、居心地が良い、せいせいする、素晴らしい)空間的・身体的安堵感を意味する。否定形の「あずましくない」もよく使われる。

千葉ロッテの平下晃司の応援歌の「素晴らしい平下」というフレーズは、札幌ドームをはじめとする北海道内限定で「あずましい平下」となっている。

北海道方言 – Wikipedia

なれ合い型学級崩壊

 教授によると、なれ合い型の学級崩壊は、こんなプロセスをたどるー。

 年度当初、保護者は「自分の子供は受けいれられている」と感じ、教師との信頼関係が築かれる。だが、内実は先生と個々の子供の関係ばかりが大切にされ、集団としてのまとまりに欠けている。教師は友達口調で子供に接し、子供に善悪を理解させず、曖昧(あいまい)な態度を取ることが多い。

 学級のルールが守れなくても「今日は仕方がない」などと特例を設けたり、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子供側には「ルールは先生の気分次第」という空気が生まれる。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、「あの子がほめられて面白くない」「先生は私と仲良くしてくれない」などの不満が噴出。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなる。

Sankei Web > 社会 > 「なれ合い型」学級崩壊が急増 都市部で顕著(10/13 02:20)

この「なれあい型学級崩壊」は、同じ記事内でも言及されているように「反抗型」よりも圧倒的にタチが悪そう。

「反抗型」の場合、悪いヤツが何人か最初にいて、そいつらが反抗しだして、それがドンドン広がっていって手が付けられなくなる、という状態。この場合、クラスで、その悪いヤツらを中心とした秩序が生まれていて、その悪いヤツらが何らかのきっかけで反抗をやめると、クラス全体に広がって落ち着いていくものです。

対して「なれ合い型」は、中心となる悪いヤツらグループがいるわけでもなく、生徒一人一人が無秩序に自分勝手な言動をし集団生活を送ることのできない自己主張ばかりしだす、という状態。これは対処も難しく、将来社会に出たときの集団生活にも大きな影響を及ぼしかねないものかと思います。

どちらの「型」も教師や学校側に責任のほとんどがある、とは思いますが、「なれ合い型」が最近増加しているというのは、家庭での教育の影響も少なくないのではと感じます。親が気分次第で子供との接し方を変えたり、子供への愛情が足りなかったり、そういう家庭で育ってきた子供が学校で甘やかされ、先生に他の子よりもいいところを見せたい、と思ってしまうとして、それは無理もないことでは。

 「最近の学校は個性重視が説かれ、個に寄り添える教師が増えた。その半面で教師も子供も集団形成や統制が苦手で、学級は集団というより群衆に近い状態になっている」と語っている。

Sankei Web > 社会 > 「なれ合い型」学級崩壊が急増 都市部で顕著(10/13 02:20)

こういう状況になっているのは、教師自身や学校の体制だけが問題ではなく、家庭での教育にも何か見直すべきところがあるはずだし、個性重視という世の中の風潮自体にも問題があるのでは、と感じます。前にどこかで見聞きしたのですが、最近ある学校の運動会のかけっこ競争では、全員一緒にゴールさせるというとんでもなく履き違えた平等教育を行っているそうですが、そういった極端な平等教育も考えものですが、個性個性と言いすぎるのも、考えものなんだなと思います。

子供の教育のために、家庭、学校、地域、全てが当事者という認識の元、親・大人が子供の将来にとって何が必要か・良いことか、それぞれに意見や考え方があるのは当然なので、親・大人同士が自分自身の考えを確固とさせ本気で意見をぶつけ合うということ。それが他ならぬ子供の将来のためになるのですから。