Monthly Archives: February 2008

レッスン中のいたずら対処方法

 こども英語のレッスン中に、子ども達がいたずらをすることがよくある。

いたずら、というよりも勝手な行動、と言ったほうがいいのかもしれないが、特に多いのが、ホワイトボードへの落書き。次のアクティビティに移るちょっとした時間などに、ホワイトボードにいたずら書きを始めてしまう。

そのいたずら書きが、本当にただのいたずら(まんが等)の場合、「やめなさい」ですむが、悩ましいのが、自分の名前を書いたりしているとき。たとえそれが日本語でも、5~7歳の子どもが自分から字を書きたいというのは悪いことではないので、やめさせずらい。けど、好き勝手にやらせていては、レッスンの妨げになる。もっと場数を踏んでいけば、そういう状況も対応していけるようになるとは思うのだが、今はまだまだそこまでの余裕がなく、いつも中途半端な対応になってしまう。

この問題の解決方法を、あれこれ考えて結局たどり着いた結論は、「されたらどうする?」を考えるのではなく、「させない」ための物理的な防止対策を施す、ということ。例えば、子ども達の手の届くところにホワイトボード用のペンを置かない、とかそういうこと。こうやって書いてみると、ごく当たり前のことだ。子ども英語先生としての場数がまだ10回未満という駆け出しの駆け出しな僕は、こういう単純で当たり前のことだけど大事なことになかなか神経が行き届かない。

 子どもがレッスン中に勝手な行動を取って困っている場合、しかるだけではなく、その行動をさせないための物理的な対処は何かをまず考えるべきなんだなと、またひとつ勉強になった次第である。

ルーブログ

 最近ホットなこの人のブログをRSSリーダーにレジスターした。

ライフ イズ ワンスビックリマーク(人生一度だけ)悔いのないライフを送りましょう。ちなみ私もハイスクール受験の時、エブリデイ ブルーガーン(憂うつ)だったが、サクセスアナウスメント(合格発表)をルックした時の喜びあ~んは今でもフォゲットしない。

受験生よ必ずスプリングc.blossoms*は来る。バイマイセルフをビリーブしてドゥーユアベスト(ベストを尽くせ)!!カッ!!

ルーブログ|ルー大柴オフィシャルブログ『TOGETHER』

 この人、ジーニアスだと思う。

奥が深い照明リフォーム

頭がよくなる照明術 (PHP新書)

来月引っ越す先のマンションは、築32年。色々な事情があって、これだけ古い賃貸マンションに引っ越すことになったのだが、賃貸でできる範囲のリフォームをして、リラックスできて居心地のいい家にしようと、奥さんと二人で楽しくリフォーム計画中の今日この頃。

そんななか、やっぱり照明も大事だよね、ということで、前から気になっていた『頭がよくなる照明術 (PHP新書) 』を読んだ。「頭がよくなる」と冠しているだけあって、単なるリフォームではなく、「灯り脳」や照明と睡眠の関係、そして「モテ明かり」なるものまで書かれている。が、今回は特にリラックスできる照明リフォームについて知りたかったので、第一章以外はすっとばし読みをした。睡眠に関する辺りは面白そうだったので、また別の機会にじっくり読もうと思う。

さて、本著では「光を自分のものにする三つのポイント」として、(1)光の色、(2)光の高さ、(3)光を当てる場所が挙げられている。(1)光の色、(3)光を当てる場所については、これまでも何となく意識はしていたが、(2)光の高さによって、部屋の雰囲気はもちろん、人の気持ちまで変わってくるというのはなるぼどなあと思った。

光の高さには、以下の三つのパターンがあると本著では紹介されている。(P.45)

  1. 高い位置からの光 ⇒ 人の気持ちを活動的にする位置
  2. 低い位置にある光 ⇒ 人をリラックスさせる位置
  3. 中くらい位置にある光 ⇒ 高低の位置だけを光らせたうえに、この位置の光を加えると、空間を立体的に美しく見せる

これは昼間太陽が高い位置にあると活動的になり、夕焼けを見たときに気持ちが安らぐ、というのと同じ心理現象である、とのこと。納得。

照明リフォーム、なかなか奥が深い。素敵な空間を作っていこう。

See also

照明リフォームでお部屋の模様替え―たった数千円からできる明かり術 (小学館実用シリーズ LADY BIRD)

子どもに話を聞かせるには

つまり、「静かにしなさい」という注意の仕方は、子供をしゃべらない性格にしてしまう恐れがあるのだ。 では先生はどのように注意すればいいのか。それは、 「聞いてください」 である。「聞いてください」と注意すれば、

  • 子供は「どのようにすればきちんと聞けるか」を考え、
  • 「自分がしゃべっていると相手の話が聞こえない」と気づき、
  • 「相手の話を聞くときはしゃべらない」という習慣が身につく

という学習ができるのだ。「静かにしなさい」だけでは、しゃべらなくなっても話を聞いてくれるようになるとは限らないし、「しゃべることは良くないこと」だと刷り込まれる可能性がある。

子供に「静かにしなさい」と注意してはダメ – F.Ko-Jiの「一秒後は未来」

 これは、納得。

 子ども英語クラスでも、がやがやしているとどうしても「静かに!(Please be quiet!)」と言ってしまいがちだが、それよりも、「聞いてください!聞きなさい!(Please listen to me!)」と言うようにしていこう。

偏りすぎな読書傾向

 溜まった積読本や読み終えてもう読まないであろう本をブックオフに売るために整理した際に(参照)、持っている本がかなり偏っていることに気付いた。自己啓発系の本がやたら多い。我ながら気持ち悪いなと思いつつ、売る本・売らない本を選別していったのだが、今回売る本の7割近くは自己啓発系の本で、20冊ほど残すことにした本のうち、自己啓発系の本は5冊もない。

自己啓発系の本には読みやすい本が多いし、読むとその瞬間は気持ちが盛り上がるから何か達成感があったりするんだけど、その内容をほとんど覚えていない、あるいは覚えていたとしても継続的に実践していないところが、これまた我ながら気持ち悪い。本を読んだら、特に自己啓発系やビジネス書系の本を読んだら、その内容から自分の考え方だけではなく行動まで変わらないと、その本の内容を本当に理解したことにはならない、と今は思っている。が、これまでは、本から何かを得たいのではなく、読書そのものが目的になっていたことは否めない。意味なさすぎだな、これは。

 自己啓発系やビジネス書の類は、読後に自分の行動が変わるような読書じゃないと意味がない。その本の内容を「知っている」と「している」の間には、雲泥の差がある。これからは、読む本の偏りをなくし、つまり、自己啓発系の本は極力読まないようにして、それ以外のジャンルの本を意識して読んでいくことに決めた。そして、読書後に何か自分の行動を変えたいと思うような本に出合えたら、「知っている」の先、それを「している」ところまでいかないと意味がないことを忘れないようにしたい。

 と、そういう意識とは別に、エンターテイメントとして単純に楽しむ読書ももっともっとしていこうと思う。

積読本を積んどかないことにした

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 昨年から図書館を積極的に利用するようになり、本をあまり買わなくなった。と言っても全く買わなくなったわけではないのだが、買った本はほぼ100%読むようになり、未読の積読本がたまることがなくなってきた。

 そんな状態に慣れてくると、これまでに溜めてきた未読の積読本や、一度読んでもう読まないであろう本が部屋に居座っているのが我慢できなくなってくる。処分しなきゃなあ、と思いつつなかなかタイミングを掴めずにいたのだが、来月引っ越すことになったので、この機会に一気に処分することに。

 ずっと居座り続けていた本の中から、この本は手元に置いときたいと思う本のみを残し、あとは全部ブックオフに売りに出すことに。本の選別はあまり深く考えるとまた処分できなくなりそうなので、「いつか読みたくなるかもな・・。」とかは考えずに、「選別をしているこの瞬間に読みたいか、あるいは再読したいかどうか」という問いに「YES」となるものだけを残した。そうして20冊程度残ったのだが、面白いことに未読本で残ったのはほんの二、三冊で、ほとんどが既読で再読したい本だった。

「気になる本は迷わず買う」というのを自己啓発本か何かで読んだ影響で、ここ2年ほどちょっとでも気になった本はすぐにAmazonやリアル書店で買っていたのだが、そうやって買った本というのは、そのとき「気になった」気持ちが冷める前に読んでしまわないと、なぜその本を買ったのかも忘れてしまうものなんだなということに気づいた。それに自分の興味や傾向も日々変わるものなので、今なら絶対買わないだろうというような本も多い。

そういった本もいつかまた読みたくなるのかもしれないが、いつになるか分からない「いつか」のために部屋のスペースを使うのは勿体無いし、未読本というのはそこに過去の自分というか気持ちというか何かそういうもんが打ち込まれているようで、前に進めないような気がするというか流れが澱んでしまうというかなんというか。とにかくあまりいい影響が無いもんなんだなあと、今回未読本の山を処分したあとの心地よさ、気持ちの軽さを感じて、つくづく思った。

 結局、段ボール6個分の本を売ることに。量が量なので自分でブックオフに持っていくのはきついので、自宅まで売りたい本を無料で取りに来てもらえる宅本便というサービスを利用した。査定結果は後日メールで届く。いくらで売れるんだろうか。

 そんなわけで、これからは読みたい本は基本的に図書館から借りることにして、今後何度も読みたいと思うであろう本のみを買っていくことにする。そうやって、積読・未読フリーな読書生活を送っていきたい。

ひらめきが何より大事とエジソンも言っている

快人エジソン―奇才は21世紀に甦る

本の整理をしていたら、数年前に読んだ『快人エジソン―奇才は21世紀に甦る 』がでてきた。人類の歴史を変えた世紀の天才発明家の実像に迫っている本著を何気なく再読し始めたのだが、これが面白い。

全編興味深い内容ばかりの本著のなかでも、ひとつのハイライトと言えるのが、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力のたまもの」という有名なことばの真意について書かれている部分。

世界の名言集に必ず出てくるエジソンの「天才とは一パーセントのひらめき(インスピレーション)と九十九パーセントの努力(パースピレーション)のたまものである」ということばは、彼の本心通りには解釈されていない。(P.95)

このことば、当時の新聞記者は「ひらめきだけでは天才となれず努力が肝心」と解釈し、それが現在でも広まっている。しかし、エジソンの真意は全く逆だったという。

エジソンは後に「たとえ一パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在を確認できれば、努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと。この発想のリトルピープルの声、すなわち、一パーセントのひらめきが最も重要なのだが、皆このことがわからないようだ」と語っている。

エジソンの実績を見れば、努力の人であったことは否定のしようがない。しかい、霊感(ひらめき)については、その存在が証明しにくいこともあり、重要度が一パーセントにされても、多くの人々が何となく納得したものと思われる。ところが、エジソンの考えは全く逆だったのである。(P.97)

「努力が肝心」ではなく、一パーセントのひらめきが重要でそれがなければ努力も無駄になる、というのが、エジソンの真意だった。その真意がわかると、努力の人だと思っていたエジソンのすごさは、その膨大な努力ではなく、「ひらめき」であるということがわかる。では、その「ひらめき」はどこからきたのか。エジソンは、ひらめきは脳のなかに住む「リトル・ピープル」の声だということを言っている。そして大人になるにつれて、その声に耳を傾けることが困難になるのだと。

メモ魔であるエジソンはこの「リトル・ピープル」の声を逃さず、それがどんなに小さくても滑稽でも突拍子がなくても、メモとして残していくことで、その声から発明へとつながるひらめきを掴まえていったのだと思う。エジソンが残したメモや記録は500万枚以上、アメリカで国家プロジェクトとしてそれを分析・解析している。これほど膨大なメモを残したエジソンは、「ひらめき」の重要性を深く深く理解していたのだと思う。

「リトル・ピープル」の声は、誰にでも聞くことができる。というか聞こえているはずである。ただ、その声(ひらめき)をくだらないから、小さなことだから、と聞こうとしない、記録に残そうとしないだけだ。どんなに努力しても、ひらめきなしでの努力は無駄になってしまう。努力するのは当然、そしてその努力を実にするためにも、一瞬一瞬のひらめきを聞き逃さす、書き残していくことが大事なのだ。

エジソンのかの名言には、そんな学びが込められている。

レッスン中にすねる先生

 子ども英語クラスを運営していくにあたって、いま一番の課題は、子どもたちのレッスン中の態度だと思っている(参照)。先生の言っている英語が分からないというようなこと以前の問題として、レッスン中の態度がよくない子がいる。注意しても分からない子がいる。これは子ども達が悪いわけではなく、僕の先生としての能力が低いから、ということが一番の原因であることは分かっていて、いかにレッスンに集中させるか、ということで頭がいっぱいな今日この頃である。

 そんな課題を抱えながら、今年4回目のレッスンを行ってきた。今回のレッスンでは初めて絵本の読み聞かせを行った(参照)。色とりどりの動物が次々と出てくるこの絵本(Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?)は子どもたちの食いつきもよく、今回のレッスンの目的としていた絵本に登場するAnimals/Colorsの単語の定着は思ったよりうまくいったように思う。

 ただ、今回のレッスンで一番心がけていたことは、いま一番の課題と考えているレッスン中の態度の徹底だった。日本語でもいいから、態度のよくない子はきちんと叱る、言うことを聞かせる、好き勝手させない、ということを強く心がけていたのだが、結果として今回もまた、前回よりは良かったとしても、まだまだまとまりのないレッスンとなってしまった。

 反省点・改善点、あるいは学びとなった点は、毎回のレッスンが終わると山のように出てくるのだけど、今回のレッスンの中で興味深い場面があった。

 それは絵本を読み始めようとしたときのこと。僕が絵本を読み始めようとしているのにもかかわらず、勝手な話をして聞こうとしない子達がいた。何度注意してもやめない、何も言わずに憮然とした表情で待っていてもやめない、「じゃあ、君達は話をしていなさい」といって、その子達以外の子にだけ読み聞かせようとすると「いいよ別に、話してるもん。」なんてことを言う。いい加減困ってしまったのだが、思い切って、「絵本嫌いなんだね。分かった。じゃあ今日は絵本はなし。」と言って絵本をしまってしまった。さらに、「それに今日は絵本をやろうと思っていたから、他になにもやることないよ。」と言ったら、さすがに戸惑った様子になる。そこでもう一度全員に向かって、「絵本聞きたい~!?」と聞くと、全員ではないけど数名の子が「聞きたい!」という返事があった。「OK!じゃあやろう!」と言って、もう一度はじめると、さっきまで勝手な話をしていた子達も「聞くー!」と言って、しっかりと聞くようになった。その後、絵本の読み聞かせ、その絵本に登場する動物カードを使ってのアクティビティと、割とスムーズに展開できた。

 レッスン中に先生がすねてみる、というのが良いことなのか悪いことなのかは何とも言えないところがあるが、今日はそれでレッスンが壊れるのを防ぐことが出来た。きちんと行儀良くしている子達に対しては申し訳ないとも思うが、きちんとしないとレッスンが進まない、行儀良くしているからこそ楽しいことができる、ということを少しでも感じてくれたのでは思う。

 まだまだ、子ども英語先生としても、子ども教育の場に立つ人間としても、経験はもちろん、知識も足りない僕のような者に英語を教えられている子ども達は果たしてハッピーなのか、たまに考えてしまうこともあるが、色々と難しい場面はありつつも、そのレッスンのなかで一言でも笑顔で英語を発音してくれるのを見ると、そんな考えも吹きとんでしまう。いま、僕がやっていることは、子ども達にとって少なくとも無意味なことではないのだな、と。

何事も志次第でどうとでもなる

 一昨年の1月から昨年の9月頃まで色々と指導していただいていたコーチの方と、朝1時間弱ほどお話してきた。コーチング自体は昨年9月の時点で一旦終了しているのだが、それから今日までの目標達成等の報告をさせていただいた。

 達成できているもの・いないもの、もちろん両方ある。そんななかでも、僕の中では今年から週一で子どもに英語を教え始めるところまできたのが昨年の大きな達成のひとつであり、その運用が今年の大きな目標のひとつだ。

 「子どもに英語を教える」というのは、楽しい面も多いが、大変な部分もすごく多い。子どもへの英語の教え方を学びはしたが、それは「英語を教える」という部分に特化したもので、子ども教育という大きな分野から見たらほんのかけらでしかないということを、実践していくなかで痛感している。子どもに英語を教える、という実践の場があることはとてもいいことで、そこから学べることはプライスレスだけど、それと並行して、「子どもの教育」についてもっと学んでいく必要がある。

 そういうわけで今年は、普段の仕事以外の時間はほとんど全て子ども英語教育、子ども教育全般の実践と学びに心身・時間を注ぎ込んでいる。普段の仕事で海外出張が多くなってきたこともあり、なかなか大変だけど、楽しい。

 今日のコーチの方との話のなかで、色々と貴重なアドバイスも頂戴できた。今後何か自分でやっていく際の資金面をどうしていくか、等々。今までの自分にはない観点だったのでとても参考になった。何事も志次第でどうとでもなる、ということを改めて考えた。まずは「やる」と決めることなのだと。