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いい人間になりたい

「何になろうか」っていうのは、好きずきもあるし、
思っていてもできないこともあるから、よくわからない。
でも、せっかくだから「いい人間になろう」って思うんです。
そういうのを1個持っとくだけで、いま自分がやっていることが、
「どうか?」って、きちんと疑えるから。
『宇梶剛士流、父のおはなし。』より>
ほぼ日手帳2006 – 7月24日の言葉

僕が「いい人間」になるために、小さいことだけど日々心がけていること。
・ゴミの分別は、いつでも、どこでも、しっかりと。
・ポイ捨てしない。
・靴を並べる。もちろん、自分以外の靴も。
・遅刻しない。
・自分から元気に挨拶する。
・日記をつけて反省する。
・・・等々。
こういうことは当たり前のことだったりするけど、普段から心がけていないとなかなか出来ない。これらが自然に出来るほど、僕はまだ出来上がってないようだ。
実際、ときどき出来ないこともあったりして、そんなときは「どうよオレ?」って考えてみる。出来ないときは大概ストレスフルになっていて、人に優しくなれてなかったりする。心がけているからこそ、出来ていない自分に気付き見つめ直すことができる。
いい人間になるには、まずは心がけるという行動を起こすこと。そしてその心がけたことを実際に行動に移していくこと。ただ、「いい人間になりたい」と思っているだけでは、何も変わらないのです。

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特別な人なんていない

俺は、特別なことは何もできないと思ってる。
特別なことができると思っていることが、
若さなんだと俺は思います。
結局、自分が今までやってきたぶんしか
できないんです。
『宇梶剛士流、父のおはなし。』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月11日の言葉

今日の言葉は、また一段と響いた。
こういう言葉って、成功している人とか、結果を出している人とか、
そういう人達がみんな言っていることではないだろか。
「結局、自分が今までやってきたぶんしかできない。」というのは、
シンプルだけど、紛れもない真実。
イチローだって、特別なことはしてきていなくて、
毎日、素振りをする、
道具を大切にする(イチローは毎日自分の野球道具を手入れするらしい)、
そういう当たり前のことを続けてきた結果が、
今のあの姿なんだと思う。
世界を変えた、アインシュタインやエジソンも、
「たくさんメモを取る」という点においては、
とくに特別なことはしていない。
自分の考えやアイデアをどんな形でもアウトプットし続けて、
それを認め続けてきたこと。
それが、彼らの偉大な功績の源だと思う。
特別なことをしようと思っても、できない。
ただひたすら、当たり前のことをし続けることが、
特別な結果を生む。
つまり、そういうことだ。

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やっちゃえばいい

生きてると理不尽なことはあると思う。
だけど、「ありもしないことにおびえて生きるな」と。
今できることにベストを尽くせば、
それでいいんだと思います。
『宇梶剛士流、父のおはなし。』より>
ほぼ日手帳2006 – 1月19日の言葉

ありもしないことにおびえて生きる。
何となく、理由も分からず、不安になったり、焦燥感にかられたり。
そういうことって、誰にでもあるのではないだろうかと思う。個人的に。
僕の場合、以前はそういう状態になることが、比較的よくあった気がする。
今はそうでもない。
以前と今の違いは、自分の決めたことをやっているかどうかというのが一番大きいかな、と思う。
しかも継続して。
何をしていいか分からず、それで何もしない。そんな状態が続く。
そんなときに人はおびえる。
おびえる自分を感じながら、やれない。
どうするか。
やっちゃえばいい。
何でもいいから継続できそうなことを決める。
『靴を揃える』とか、何でもいい。
そして、ああだこうだ考えず、まずはやってみること。
それを継続してみること。
継続できるかどうかは、やると決めた自分との約束を守れるかどうか、
自分に勝てるかどうか、にかかっている。
小さなことでも自分との約束を守るのって、簡単なようで意外とタフなこと。
毎日、自分との約束を守り続ける。
ベストを尽くして、今ここでできることを、一生懸命やる。
そうすることで、「ありもしないことにおびえる」自分とも決別できるのではないだろうか。

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