春の海はたしかに静かだけど、
こんな日ばかりじゃないからね。
だからそんなに悲しい顔しなくても、
海はいつでもここにあるから。な。
<『カワイイもの好きな人々。』より>
ほぼ日手帳2006 – 4月2日の言葉
海を見ると安心する。
どんな表情を見せていても、
静かでも、荒れていても、
いつも、そこにいるからだ。
海を見に行きたくなった。
春の海はたしかに静かだけど、
こんな日ばかりじゃないからね。
だからそんなに悲しい顔しなくても、
海はいつでもここにあるから。な。
<『カワイイもの好きな人々。』より>
ほぼ日手帳2006 – 4月2日の言葉
海を見ると安心する。
どんな表情を見せていても、
静かでも、荒れていても、
いつも、そこにいるからだ。
海を見に行きたくなった。
イヤなことを我慢してやれなかった
反省ばかりの人生を送ってきましたし、
ぼくはせめて小説ぐらいはまじめに書きたいと思っています。
デビューの時期からふざけているように見られて怒られたりしましたが、
じつはずっとまじめに書いています。
<町田康さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 4月1日の言葉
ブログを書き始めて、もうすぐ9ヶ月になる。
途中、失速したり、テーマが偏ったりしたこともあったけど、
ほぼ毎日更新しながらの9ヶ月継続。
どんな内容のエントリーでも、
まじめに考えて、それなりにエネルギーを使いながら、
書いている。
それがどんなにしょうもないものだとしても。
と、そんなことは僕の勝手なので、
ここで書いても仕方ないことなのかもしれないが、
ともかく、まじめに書く、書き続ける、ということが、
こんなにもエネルギーを使うものだとは思わなかった。
そうやって続けているこのブログは、
自分にとってはもうなくてはならないものになっている。
このブログ自体は、
どれだけ人の役に立っているか分からないけど、
少なくとも、自分にとっては役に立っていて、
だからこそ、手を抜かずにこれからも継続していきたい。
そんなことを、今日の言葉を読んで思ったりした。
日めくりカレンダーを一枚ずつめくっていくように、
毎日が過ぎていくのですが、
昨日と今日、今日と明日、昨日と明日、
みんなつながっているんですよね。
<『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月31日の言葉
かこ、いま、みらい。
つながる時間のど真ん中が、いま。
いま、この瞬間は、もう、かこ。
さっきまでみらいだった瞬間は、もう、いま。
いま、と思っていても、それはすぐにかこになる。
いつかそのうち、と思っていたみらいも、
すぐにいまになる。そしてかこになる。
僕らは、いまを生きている。
その「いま」に乗り遅れないように、
「いま」を楽しんで精一杯生きること。
僕らにできるのは、それだけ。
いいかげんにやっていい感じにしあがると、
いい感じなんです。
ヘタに細かくやると、なんか、気持ちが悪い。
<祖父江慎さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月30日の言葉
いいかげん、っていうと、何となくあまり良いイメージがわかない。
けど、いいかげんっていうのは「いい加減」ってことで、
程よい加減で何かをしていることってのは、
自分で自分をコントロールできているってことだと思うので(無理やりか?)
いいかげんってのは、いいことだと、僕は思う。
いいかげん、にやらないと、
細かい部分を気にしすぎて、必要以上にやりすぎちゃったり、
おおざっぱすぎて、何か抜けがあったり。(いいかげんとおおざっぱ、ってのはべつもの。)
ちなみに、このブログも、「いいかげん」にやってます。
だからこそ継続できてるんだと思ったりもした。
美しいたたずまいが
大事だということを、
どこかで心得ていさえすればいいのです。
<比較経済史学者の川勝平太さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月28日の言葉
「美しいたたずまい」
いい響きです。
どんなものでも「たたずまい」が美しいものには、
目がひかれて、心が奪われる。
例えばそれは絵画であったり、
雰囲気のある映画の中の俳優さんだったり。
「たたずまい」という言葉は形のないものにも使えるもの。
美しいたたずまいの音楽。
美しいたたずまいの生き方。
んー、何か素敵。
そういえば、僕の相棒 – Bianchi Passo 06 – のたたずまいも美しい。
「当たり前」
人間はやっぱり、
自分のやったことをほめてくれたり
よろこんでくれたりする人がいないと
木にはのぼらないと思うんです。
<任天堂社長・岩田聡さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月27日の言葉
僕はどちらかというと、
ほめられて伸びるタイプ。
ほめられると、どこまでものぼっちゃいます。
たたかれると、どこまでもしずんじゃいます。
けど、しずんでもちゃんとのぼってきます。
というか、これは最近気づいたんだけど、
たたかれて沈んだあとのほうが、
時間はかかるかもしれないけれど、
ほめられたときより、さらに高みに行っちゃってる、気がする。
たたかれた反動、みたいなもんが働いてんのかな。
割と打たれ弱い僕としては、なかなか素敵な発見をした、と思っている。
とはいえ、一番高みに行っちゃうのは、
やっぱりよろこんでもらえたとき。
特にこうやって細々とでもアウトプットし続けている
このブログを読んでくれた人に少しでも役に立ったと言ってもらうと、
もう天にも届くかってくらいの勢いでのぼっちゃいます。
のぼったりしずんだり、またのぼったり。
そういうアップダウンな人生は、むしろウェルカム。
人生、人生と言いだす人は、
人生という架空のものをしゃべっているんですよね。
自分がいちばんのめりこんでいるものをしゃべるだけですが、
将棋なら将棋、小説なら小説しかしゃべっていないほうが
むしろ人生に近いんじゃないかなぁ。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月26日の言葉
「人生とはなんぞや」
「幸せな人生とは」
とか、そういうことを僕も考えちゃったりするけど、
(特に自己啓発本とかを読んだあととかw)
つまりそれは、
「いま」「ここで」「何を」しているか、
っていうことなわけで、
人生自体に意味を求めても、しょうがないのかな、
なんて思ったり。
「今、何してんの?」
そんな自問自答をしながら、暮らしていくとしよう。
花粉と春っぽい気候でぼーっとしちゃうね、
この間なんてぼーっとしすぎて、
目覚まし時計を洗濯機に入れて
洗濯しちゃった俺です!
げへっ!!! バカです!!
<『ぼーっとしたミーハー通信。』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月25日の言葉
僕は花粉症はもってないのですが。
この間、ぼーっと自転車に乗っていたら、
20分くらい走って様子がおかしいことに気づき、
冷静になったら、
目的地とは逆方向に5Km近くも行ってしまっていた。
ばかです。
けど、自転車に乗るのは好きだから、いいんです。
目的地に辿りつくために自転車に乗る、っていうよりも、
自転車に乗ること自体に喜びを感じる、今日この頃です。
「あ、そう」
(・・・・。)
ぼくの場合は、「いくら使ってもいい」となると、
考えられないんです。
「・・・・もうこれしかない!」
というときに出てくるのが知恵だと思っていまして。
<テレビマンの三宅恵介さんが『おもしろ魂!/a>』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月24日の言葉
リミットがあると、人間って知恵を搾り出しやすくなる、と思う。
この予算内でいかにいいものを作るか、
この期限内でいかにいいものを作るか。
今まで関わったプロジェクト・仕事なんかでも、
「予算があんまりない」プロジェクトや、
「いきなり話がきて、しかも期限がすぐそこ」っていうプロジェクトや、
そういうのが結構あって。
じゃあ、どうやってこの問題を解決しよう、
って思いっきり知恵を働かせて解決策を見つける。
結果的に、シンプルでいいものができたりする。
これは仕事に限らず個人的なことにも言える、と思う。
ただ、個人的にやりたいことに対して、
リミットを設けることって、あまりない。
お金のリミットっていうのは、
もしかしたらあるかもしれないけど、
そのリミットを設定してしまった時点で、
もうあきらめちゃったり。
「何かやりたい」って思うことがあって、
時間のリミットを設けないもんだから、
いつまで経ってもやらない。
仕事では限られた予算・時間でいいもの作ろうと知恵を絞りだすのに、
個人的なことに対してそれをしないっていうのはもったいない気がしてきた。
お金の場合、手元にある金額を元手に
いかにやりたいことを実現していくか。
時間のリミットっていうのは、
意識して設けていくべき、と個人的には思う。
知恵っていうのは待ってても出てこない。
ただ、出てくるように仕向ければ、
必ず出てくる。
お金と時間のリミットを設けて、
「んで、どうやって解決しようか?」って自問自答。
それだけで、人生もっとシンプルに楽しくなる、と思う。