Monthly Archives: March 2006

人間のいのち

死が自分に属していないということは、
生そのものが、自分の所有でないということでもある。
自分以外の誰かのものであるはずもなく、
自分のものでもない。
それが人間のいのちというものなのだと、ぼくは思う。
<ダーリンコラム「自分のもの?」より>
ほぼ日手帳2006 – 3月21日の言葉

今回のダーリンの言葉は、奥が深い。
生も死も、自分のものでも、誰のものでもない、としたら、
人間のいのち、というのは、何なんだろう・・・。
こういうことを考えだすと、支離滅裂になって、
結局答えがでなかったりするので、
つーか、答えなんか出ようがないので、
今日はここらで瞑想に入ります。
その前に。
ひとつだけ言えるとしたら、
人間は生かされている、ということ。
何に?何のために?
それは分からない。
そんなことを考えながら、
今日も瞑想。

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インプットの真実

アウトプットのレベルをみて、
人の内面を判断してはいけない。
その奥には、何倍も深遠な
その人がインプットしてきた世界がある。
<『おとなの小論文教室。』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月20日の言葉

アウトプットとインプット。
このテーマは、このブログでも何度か書いているけど、
考えれば考えるほど、深いテーマだ。
深い。だけど、シンプル。
今日の言葉も、深くて、シンプル。
シンプル、というか、当たり前というか。
当たり前、だけど、
それを意識するかどうか。
そこが大きな別れ道、だと思う。
例えば、イチロー。
イチロー選手がアウトプットしている結果だけを見れば、
「天才」とか「孤高」とか、
そういうイメージがついてしまう。
けど、イチロー選手のインプット、野球に対する姿勢というのを、
見聞きすると、そういうイメージは一気に崩れ去る。
ひたすら素振りを繰り返し、
向上するために自分と戦い続ける、
「努力」の人。「挑戦者」。
野球を始めるときに親に買ってもらった道具を大切にしていた子供の頃から、
ずっと、今でも、野球道具を心から大切にする、
「野球少年」。
アウトプットだけで判断すると、
大切なものを見失う。
これからも常に意識していこうと思う。

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耐える・挑む

耐えることと、
挑むことは矛盾しない。
耐え、そして挑んでいるんだ。
<岡本太郎さんの言葉
 『TAROのひとこと』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月19日の言葉

一つ前のエントリーでも書いたけど、
「継続すること」っていうのは、ある意味修行のようなもので、
人間が元々持っている「楽したい」という誘惑にいかに耐え忍ぶか、
という側面も、大いにある、と個人的には思う。
好きだから継続できんでしょ、嫌ならやらなきゃいいじゃん、
っていう声もあるかもしれないけれど、
ひとつことを継続する、というのは、
そんな簡単なものではない。
何でもやってみないとわからないので、
何でもやってみて、つまらないと思ったら、やめてもいい。
そういうたくさんのトライの中で、
「これは」と思うものがあって、それを継続しようと思ったら、
楽しめるか、とかそういうことよりも、
とにかくやり続ける。
そこに、人間としての成長がある。そう思う。
継続すること。
それは、耐えながら、挑み続けること。
今は、まだまだ修行中だ。

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マニュアルから始めよう

マニュアルはバカを作るんじゃなくて、
最低限の基礎なんです。
最初からすべてを自由にやりなさいと言ったのなら、
基本ができていないまま自由にやるわけだから、
これはサークル活動になってしまいますね。
<日本マクドナルド社長・原田永幸さんが
 『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月18日の言葉

このお話には全面的に賛成。
何事も基礎が大事。
「マニュアル通りにしかできない」
とかいう言葉には、どこかネガティブな空気が漂うけど、
マニュアル通りにできない人が何かをしていたとしても、
それはもう、違うもの。
フォトリーディングでも、何でもそうだけど、
まずはマニュアル通りに、教えられた通りに、
基礎を徹底的に継続する。
自分で工夫していくのは、そのあと。
と、こういうことは、頭では分かっているんだけど、
なかなか実践できなかったりもする。
基礎が固まってもいないのに、また次の方法を探してしまったり。
「ひとつこと」に徹底的にこだわって、継続する。三年くらい。
それができたとき、間違いなく、何かが自分のなかで変わる気がする。
そんなわけで、今継続していることは、
引き続きこだわっていきたいと思う。

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アンテナ

わたしは記者で、彼は刑事。
デート中にあやしげな人や車を見ると、一瞬、ふたりとも、黙ってしまいます。
で、同時にチェックしてるのが、人相、服装、車種、ナンバー・・・。
手をつないでいるつもりが、逮捕術のかけあいになることもあります。
ムードもへったくれもないです。
『ほぼ日デリバリー版・職業病』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月16日の言葉

以前、勤めていた会社では、
店舗のPOS関連の開発に携わっていたこともあって、
スーパーとか行くと、バーコードスキャナーやレジの画面に見入ったりして、
色々とアイデアを得たりしていた。
その仕事をしている頃は、常にそういうアンテナを張り巡らせていた気がする。
職業病っていうのは、つまりそういうアンテナが立っちゃってることで、
それはなかなかしまっておくことは出来ないもの。
あまりに悪い影響が出ちゃったら考えもんだけど、
良い影響のほうが多い気がするので、
せっかく多感度のアンテナが立ってるんだから、
それはしまわずに有効活用したいと思う今日この頃。

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手を加えてもらう

昔よりも、ものを出すときには、
手のこんだものより、
残りをお客さんに想像して組みたててもらうものに
したいと思っている。
<野田秀樹さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月14日の言葉

出来上がったものを手にしたりするよりも、
自分の手で何か加えることができるもののほうが、
受け取る側も、楽しい。
受け取る側の心構えとして、
手にしたものが完成している、と思うよりも、
まだまだ手を加える余地がある、って思っていたほうが楽しい。
アイデアっていうのはそうやって生まれてくる。
ちょっと話がずれるかもしれないけど、
本を読むときなんかにも、近いことが言えるかも。
書かれていることが全て正しい、と思うよりも、
自分の考えをしっかり持ちながら、著者と議論するつもりで本を読む。
または、ここで著者が言いたかったことって、
本当はこうなんじゃないか、とか。
そんなことを考えながら本を読むほうが、数段楽しい。はず。

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年功序列と経験値

若くて、勢いのある、
生まれて間もない木が、
長く長く生きてきたような、
朽ちかけた老木を、
笑えるものではない、と、つくづく思う。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月13日の言葉

年功序列での人事評価、とか、
そういうのが僕は嫌いだ。
嫌いというか、合わない。
そんな風に思っていた。
けれど、最近は少しずつ考え方が変わってきたかも。
長くそこに居るからこそ、長くその事業に携わっているからこそ得られる、
「経験」というかけがえのないもの。
その「経験」を評価するのが、年功序列という制度なのであれば、
それは大いに活用すべき、とさえ今は思う。
ただその経験値を評価されて、相応の立場についている人は、
その経験値にともなった仕事や考え方をすべき、とも思う。
レベルがめちゃくちゃあがってんのに、
スライムばっか相手にしていても仕方ない。
頭と身体をめいっぱい使わないと敵わない相手と戦うとか、
それまでは行けなかった場所に行って新しい発見をするとか。
ああ、でも、経験値が高い人、っていうのは、
もともと、新しい発見や戦いに挑みたくなるものなんだよなあ。
そういう人っていうのは、経験値をあげるために、
努力をしてきている人だから。
そういう人は、もっと強い相手を、見たことのない場所を、
新しい発見を求めるもの。
逆にずっと平和な街の中にいて、外に出ない、発見しようとしない、
そんな人の、経験値はあがらない。
年功序列の良し悪しは、経験値をちゃんと評価しているかどうか。
そこなんだなと思う今日この頃。

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