こどものころ、末は大臣か大将かという言葉がよく言われていたけど、
ぼくはそのときでも、とても卑しい言葉だと思っていた。
なんで夢という広いものを、大臣とか大将という野心的なものに
限定しなければならないのか。
<岡本太郎さんの言葉
『TAROのひとこと』より>
ほぼ日手帳2006 – 8月27日の言葉
よくよく考えてみると、こうやって限定した夢や目標を親や大人が子供に言ってしまうのは、とっても危ないこと。ただでさえ言葉の持つ力は侮れないのに、子供の頃にそういう限定した言葉を多く聞いてしまうと、知らず知らずのうちに描く夢や目指す目標も限定されてしまうんじゃないだろうか。
かといって、親や大人が全く何も示さない、というのも、それはそれで問題があるような気もする。では、親や大人が子供に出来ることってなんだろ、って考えると、多くのことを見聞きできる、経験できる、考えることができる、そういう場を出来るだけ提供してあげること、なんじゃないかな、と思った。そういうなかから、子供は自分なりの考えで夢や目標を描いていけるのではないだろうか。
なるべく多くの選択肢のなかから自分なりの考えで自分なりの道を見つけていく、その手助けをするのが教育なんじゃないかな、なんて思ったりした。「教育」というテーマはそんな簡単に結論づけれるものではないとは思いつつも。
【参照】
TAROのひとこと
メッセージダイアリー: 毎日ひとつの言葉(メッセージ)について一言書いています。
自分にとって意味のあるブログを毎日続ける方法 – シゴタノ!: メッセージダイアリーを始めるきっかけとなったブログ記事