偶然にしては出来すぎ、けど、必然とも言えない、そんな出来事が生きていく中では頻繁に起きる。そのなかでも個人的に分かりやすいと思うのが人との出会い。それまでの人生で色々な選択肢(進学・就職、等々)があったなかで、自分がそれを選んできた結果、この人と出会えた、もし違う選択をしていたら出会えなかったかもしれない – 出会いは、多くの選択が生み出した偶然なのかもしれないが、かと言って、必然性は全くないか、というとそうでもない。出会うべくして出会った、とさえ思えることもあります。
こういう半ば偶然、半ば必然なものを「偶有性」と呼ぶということを本著を読んで知りました。そして、この偶有性に満ちた世の中(人生)を生きていくなかで、大切な概念である「セレンディピティ」についても本著で詳しく知ることができます。
セレンディピティは「偶然の幸運に出会う能力」と定義される。つまり、『「A」というものを探し求めている旅の途中で、全く異なる「B」に出会い、その結果幸運をつかんでしまった(P.110)』こと。「偶然を必然にしたい」とは誰でも思うことかもしれませんが、そういう能力であるセレンディピティを高めるためには、「行動」「気づき」「受容」という三つの要素が必要になります。
「行動」は「努力」と言っても大きくズレてはないと思います。つまり「果報は寝て待て」ではなく「人事を尽くして天命を待つ」。何か行動を起こすからこそ(努力するからこそ)、思いがけない出来事に遭遇することが出来るのであって、家の中でじっとしていても、誰かが電話をかけてきて偶然という幸運を運んできてはくれないもの。
そうして行動していくなかで、そこにある「偶然」に気づくことが大切。この「偶然に気づく」ためには、普段から自分の中外に対しての注意深い観察力を持っている必要があります。
そして、「行動」して遭遇した出来事に「気づき」、そしてその意外なもの(求めていたものとは違うもの)を受け入れる(受容)ことができないと、せっかく「偶然の幸運」に出会っても無駄になってしまいます。この「受容」には、ときには勇気が要りますが、柔軟に受容していくことは人間が変わっていく(成長していく)ためには不可欠なことなのかもしれません。
この三つの要素に加えて、「偶然の幸運」を生かす準備、つまりそういう偶然は起きるものだ、という心構えを持っておくことも大切である、ということも本著では言っています。
「偶然の幸運」には普段何気なく生活していても出会うことは出来るかもしれませんが、「偶有性」というのが世の中には存在していて、セレンディピティという能力で偶然を必然に変えていくことも出来なくはない、ただそのセレンディピティを発揮するにはまずは行動しないと始まらない、といったことを意識しているだけで、「偶然の幸運」の取りこぼしが少なくなっていく気がします。
先日紹介した『IDEA HACKS!』のなかでも、セレンディピティが紹介されていて、より詳しく知りたいな、と思っていたときに、それとは知らずに手に取った本著にそのことが書いてあった。これぞまさに、偶有性・セレンディピティ。
※今回は、読書感想文ではなく、偶有性・セレンディピティについての考察に終始してしまった。もちろん本著ではそれら以外にも興味深い内容が多いです。特にディタッチメントとパフォーマティブに関する記述辺り(P.137)が個人的には。