Monthly Archives: February 2006

生かしてくれている人

あなたの道に、たとえ、どんなにいやな人がいようとも、
あなたをこれまで生かしてきた人、
いまも静かに生かしてくれている人の方が、
実は、はるかに多い。
『おとなの小論文教室。』より>
ほぼ日手帳2006 – 2月18日の言葉

ぐっとくる言葉です。
僕はあまり苦手な人ってのがいないほうだとは思うけど、、
だからこそ、かもしれないけれど、
苦手な人がいると、それがすごいストレスになってしまう。
そんなとき、自分を生かしてくれている人がいるってことを、
忘れてしまっているかもしれない。
そう、むしろ、生かしてくれている人のほうが、多い。
確かに。
これって、当たり前のこと、なのかもしれないけれど、
苦手な人とのことに意識が向いてしまっていると、
それを忘れてしまう。
人間関係で苦しい思いをするとき、
そんなときこそ、
自分を、今まで生かして来てくれた人、
今生かしてくれている人、
これからも生かしててくれる人、
そういう人達がいることを思い出して、
乗り越えていきたいと思う。
もしかしたら、苦手だと思う人にだって、
僕は生かされているのかもしれない。
きっと、そうなのかも。

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長生き

へたしたら、日本人の中でも、
一億人ぐらいは落語を聞かずに
死んでいくんだと思うんですよ。
それは、ちょっとあまりにももったいないじゃない。
死ぬ前に1回ぐらい、生の落語、聞いてもいいんじゃないの?
<春風亭昇太さんが『はじめての落語』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 2月16日の言葉

落語以外にも、能とか狂言とか、歌舞伎とか。
こういった日本の伝統的なエンターテイメント文化を体験することって、
僕の場合、あまりない。
見たいな、聞きたいな、とはよく思うんだけど。
どうしても、映画とか、
そういう現代的なエンターテイメントに足が向いてしまう。
ただ、仕事上、海外の人と接する機会が多く、
彼らの多くは日本の伝統的な文化にとっても興味があって、
何か聞かれたときに、「見たことない」というのは、
日本人として、ちょっと何かな、と思い始めた今日この頃。
好きになるかどうかは別として、
日本人として少なくとも一度は、生で経験しとくべきだな、と
ふつふつと思う。
今年中に体験するものリストに、能・狂言・歌舞伎、を加えておこうっと。
けど、歌舞伎だけは、生で観た事がある。一度だけ。
面白いなーと思ったのは、「掛け声」。
「○○屋!」
ってな掛け声が絶妙なタイミングで入るんだよなあ。

こんな感じで。

↑音が出るので注意!
そんなこんなで、何気なくはじめての落語を読んでたら、
春風亭昇太さんが印象的なことを言っていた。

だから、
「長生き」っていう観念があるとすると、
長い時間を生きるっていうことも、
たしかに「長生き」なんだけど、
いろんなものを見たっていうことも、
ま、「長生き」のなかに入ると思うんですよ。
春風亭昇太さんの言葉
はじめての落語 – ほぼ日刊イトイ新聞

人生どれだけ長く生きたか、よりも、
どれだけ多くのことを経験したか、見聞したか、考えたか、
ってことのほうが、大切なんだな、と。
納得の一言。

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添付し忘れたので再送します

ある日のこと、
汚れた服を洗濯機に入れてから、
その後でトイレに行こうとしていたわたし。
何を思ったか服をトイレに投げ込んで、
その後洗濯機のほうへ向かっていました。
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 2月15日の言葉

最近特にひどいかも、こういうウッカリ。
「携帯ないぞぉぉぉぉ・・・・。」
ってウロウロしてたら、手に持ってたりw
仕事してても、ウッカリ忘れた!ってことが多くなってきたので、
最近は何でもかんでもメモを取ってる。
ちょっと前までは、メモなしでも仕事の漏れがほとんどなかった(はず)なんだけどなあ。
まあ、メモ癖がつくってのは、いいことでもあるのでね。
良しとしよう。
仕事でウッカリと言えば、
僕はよく(本当によく)、
送るべきファイルをメールに添付しわすれてしまう。
これって結構恥ずかしいんだよなあ。
「添付し忘れたので再送します」って・・・。
気をつけてるつもりでもこればっかりは、治らん。
なんかいい方法はないのかしら・・・。

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話せばワカル

選手は何を背負って
グラウンドに来ているかわからない。
ですから声を聞くんです。
いい声か、うしろ向きの声か。
まずいときは、冗談を言ったりして、気分を変えないと。
<藤田元司さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 2月14日の言葉

人の声、というのは、
意外な程、その人の感情を表していると思う。
実際はひどく落ち込んでいるのに周りに心配をかけまいと、
明るい声で振舞っていても、気づかれてしまったり。
それは、もしかしたら声だけじゃなくて、
微妙な表情や、雰囲気とか、
そういったものからも、にじみ出てしまうもの。
とはいえ、それは「声」から一番伝わってくる、と個人的には思う。
話さなくてもワカル、とかそういうコミュニケーションもあるにはあるけど、
やはり話してみること。
お互いの気持ちを理解するには、やっぱりそれが一番。

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未来はざっくりとイメージしてもいいのかも

チャンスとゴールを明確にする。
経営はこれしかないですよ。
<日本マクドナルド社長・原田永幸さんが
 『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 2月13日の言葉

経営に限らず、個人の人生や仕事においても、
同じようなことが言えるような気がする。
なんて書いたけど、
個人においては、チャンスがいつ来るか分からないから人生は楽しいし、
ゴールを明確にしすぎても、それを達成できる可能性はあがるかもしれないけど、
ドキドキ感ってのが少し失われるような気もする。
目標はディティールまでイメージすることで、より近づける、
ってなことは良く言われることだし、
僕自身、実感もしていることだけど。
目標を達成するためにディティールをイメージして、
そこへのステップを細分化して、
今日何をやるべきか、まで落とし込むこと。
それが大事なのは、もう十分頭じゃ分かっているんだけども、
それとは相反して、ざっくりとゴールのイメージを描くってことも、
それはそれで必要かなとも思ったり。
というか、個人的には後者のほうが向いている気がする。
なんだかんだいって。
5年後や10年後の自分をイメージしろって言われても、
なかなか出来ないので。
何が起きるか分からないから、世の中は面白い。
ってのもまたひとつの真実だし。
とはいえ、全くイメージしないわけでもないんだけど。
と、このあたりのことを書いていると、
行ったり来たりして、キリがないので、この辺りで、了。
経営においては、チャンスとゴールを明確にすることは、
いずれにしても、必要不可欠だとは思いますけども。

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それだけ生きりゃ十分です

吉本隆明さんのところにおじゃましてきました。
「この医者はいいな、と思ったのはさ、『吉本さんいくつになりますか』
って言うから、78だか9ですって答えたら、
『ああ、それだけ生きりゃ十分ですよ』って。
そうだよなぁって、いいなぁって思ってさ」
手術してもらうなら、こういう医者がいいと思った、と。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 2月12日の言葉

人間は、どれだけ生きたら十分って言えるんだろね。
なんて、考えた。
そりゃ、人によって捉え方は違うとは思うけど。
考えても、答えは出ない。
関係ないかもしれないけど、
ひとつだけ言えるのは、
今を生きる、ということ。
過去を偲び過ぎず、
未来を希望しすぎず。
いま、ここにある世界を感じながら、
精一杯力一杯生きること。
生きる意味、とか、どんだけ生きたら十分とか、
そういうのは良く分からないけれど、
唯一、僕に出来ることは、それだけだ。
» 今を生きる

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運を呼ぶもの

怒っても、運なんて来ない。
怒っても、誰かのために
骨を折りたくなるつながりは生まれない。
<萩本欽一さんの言葉さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』より>
ほぼ日手帳2006 – 2月11日の言葉

納得の一言。
では、運を呼ぶもの、骨を折りたくなるつながりを生むものって、
何だろう?
それは、笑顔。
それは、感謝の心。
月並みだけど、そう思う。
いつも笑顔で。
いつも感謝の気持ちを忘れずに。
月並みだけど、そう思う。
そういや、欽チャンはいつも笑顔だ。
» 笑顔

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単純な本質

本質的な話って、すごく単純なんです。
単純で、いつも使う言葉で語られるのが「本質」ですから、
話の核を聞き流してしまう人には、
内容は伝わりません。
<TSUTAYA社長・増田宗昭さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 2月10日の言葉

「話の核」をいかに捉えるか。
人の話を聞くときも、本を読むときも、
常にそれを意識しているようにしている。
80:20の法則を例に出すまでもなく、
物事には「本質」というものが存在していて、
それを捉えたか捉えていないかによって、
理解度や効率なんかが、大きく変わってくる。
完璧主義的に物事の全てを理解しようとすると、
本質以外の部分にも意識が集中、あるいは分散して、
本当に大切なこと、自分が今一番知りたいことを、逃してしまう。
では、本質をいかに的確に捉えるか。
そのひとつの方法として「目的を明確にする」というのが、
挙げられると思う。
本から何を得たいのか。
その人の話から何を得たいのか。
あるいは、その人はつまり何を伝えたいのか。
そういったことを強く意識すること。
それだけで、本質にぐっと近づくことができる。
そして、増田さんの言葉にあるとおり、
ほとんどの場合、「本質」というのは単純・シンプルなもの。
人の話や本等から、
何か情報を得るというインプットに限らず、
人に何かを伝える、アウトプットの時も、
「単純な本質」というのを意識していこうと思う今日この頃。

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