Monthly Archives: June 2007

「本が好き!」で献本書評生活

 ちょっと前から気になっていた「本が好き!(β)」プロジェクトに登録申請して、無事承認された。

参加者は出版社から提供された本のリストから、希望の本を選んで献本を受けます。読み終わったら、自分のブログや SNSの日記に書評を書きます。その際、リンクやトラックバックを使って書評のネットワークを作り上げ、それによって「面白い本」の情報をジワジワと広げて、クチコミの力で新しいヒットを生み出す、というのが目的です。本が好き!(β)

 早速一冊目の本を献本申し込み。一冊目の献本を決める際も他のメンバーの書評を読んで面白そうだったので決めたという、「面白い本の情報をジワジワ広げる」という本プロジェクトの目的に見事にマッチ。僕がこれから書いていく書評を読んでまた誰かにその情報が広がるかもしれない。いいことだ。

See also

ブログを移転しました

 色々と思うところがあり、ブログを移転しました。

 ここは、このまま残しておきます。

2007/11/6(追記)

 色々と思うところがあり、戻ってきました。移転先で書いていたエントリーは全てこっちに移しました。

インテリジェンス 武器なき戦争

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

読了。

佐藤、手嶋両氏の著書を読んだことがほとんどなく、外交や国際政治、国際情勢なるものにはまるで興味がなかったにも関わらず、途中で投げ出さずに読み切れた。諜報(スパイ)活動関連の話が個人的には面白い。また、イラク戦争に関して、これまで見聞きしてきた報道とは異なる事実(見解)を知ることが出来たのには意味があった。獄中記を読んだときも思ったことだが、TVや新聞の報道、しかも日本のそれだけを見聞きして、世の中知った気になるのは本当に危険なことだ、と実感。

本著も、獄中記同様、佐藤氏の関連著書や手嶋氏の著書を読んだあとに再読すれば、全く違う読了感を得られることと思う。

インテリジェンス云々もそうだが、こういった本から国際情勢や国際社会において日本がどういう位置にいて今後どう向かっていくのか、いくべきなのか、等々を思索することが何だかとても大事な気がする今日この頃。

というわけで、しばらく佐藤、手嶋両氏の著作を読みふけってみようかと。まずは↓辺りから。

心にナイフをしのばせて

心にナイフをしのばせて

はてな伊藤直也氏の以下のエントリーを読み、ならば自分でも読んでみようということで。

直也氏のエントリーで紹介されている以下の記事も合わせて本著を読めたことは意味があった。

直也氏の言う「情報操作」云々を著者が意識していたかどうかは別としても、精神鑑定書が公にアクセス可能なのにも関わらず精神鑑定書を全引用せずに、全く別の印象を持たすような引用をしていることには違和感を覚える。本文の中では全引用できなかった(しなかった)としても、せめて参考文献として高校生首切り殺人事件 精神鑑定書を全文掲載すべきだったのでは、と思う。あえてそうせずに、断片引用したところに著者による何らかの意図を感じざるをえない。

また、個人的には、「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法で本著が書かれていることにも疑問が残る。著者の言葉あるいは語り口をベースに遺族及び遺族関係者とのインタビューという構成で本著を書き上げたほうが、よりリアリティは増したのではないか。「一人称で語る」ことにより、かえってリアリティが失われてしまったように感じるのは僕だけだろうか。

精神鑑定書の引用方法や「遺族及び遺族関係者が一人称で語る」という手法によって、本著に登場する人物(犯人も含めて)の性格や人格が作られている。著者が伝えたかったこと(結局のところ、本著で著者が一番伝えたいことが何だったのか、僕にはよく分からなかったのだが)をより伝えるためにこういう手法を取ったのだろうから、それはそれでそういうものだと認識して読むべき類の本ではあると思う。

ただ、取り上げているテーマがテーマだけに、著者の思いが強く反映されていると思われる本著や「28年前の酒鬼薔薇事件」等の宣伝文句だけを見て、本事件と事件その後を知った気になるのは危険だ。それはもっと深いだろうし、単純に理解できるようなものではないはずなのだから。

獄中記

獄中記

5月末から6月頭にかけて約二週間ほどイギリスとイスラエル出張に行ってきた。飛行機の移動も長いし、何かじっくり読める本を持っていこうということで、以前に購入して手をつけずにいた本著を持っていくことに。正直、神学や哲学に関する著者の思索は、僕にとっては非常に高度であった。読み始めてすぐにそれに気づいたのだが、時折はさまる脚注を追いながら、何とか出張中(といっても帰りの飛行機の中)で読了した。

日記や弁護団への手紙、あるいは友人、外務省の後輩への手紙という形で、国策捜査や、神学、哲学に対しての著者の思索が本書ではまとめられている。それらは著者のいわゆる「塀の中の知的生活」を総括したアウトプットとも言えるもの。著者の「塀の中の知的生活」は凄まじい。以下、Amazono商品紹介より抜粋。

初回公判まで接見等禁止措置が取られる中で、4畳の独房で紡いだ思索を克明に記す。著者は拘置所で、それまで「腰を据えてしたかったけれども、時間に追われてできなかった」ことに取り組んだ。神学や哲学の古典をじっくりと読み、ドイツ語やラテン語の勉強に励んだ。学術書を中心に約250冊を読破し、原稿用紙5000枚、大学ノート62冊のメモをまとめている。

Amazon.co.jp: 獄中記: 本: 佐藤 優

これほどの「知的生活」を通してまとめられた本著を、通読したとはいえ、今の僕の知識でその内容を消化しきることは難しい。

著者が「国策捜査」と断じる著者自身や鈴木宗男衆院議員の逮捕に関する一連の「事件」についてTVや新聞のニュース程度の知識しか持ち合わせていなかった僕は、恐らく他の多くの「一般人」同様、著者と鈴木宗男衆議議員に対して悪い印象しか持っていなかった。本著を読んでいかに自分がメディアの情報を鵜呑みにし、あちら側の思惑通りになっていたかということに気がついた。この辺りについては、著者の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 』のほうがより詳しそうなので、そちらを読んでみることにする。そのあとに、本著をもう一度読んで、著者の思索をより理解したいと思う。