若い人に、「ほんとに好きなものを見つけてごらん」とか、
気楽におとなたちが言うじゃなーい?
わかるわけないって、そんな簡単に。
「好きなもの」なんて、定食屋であじフライを選ぶか、
メンチを選ぶかみたいなことじゃないんだから。
<ダーリンコラム「ろくでもなさを許せる世界」より>
ほぼ日手帳2006 – 1月23日の言葉
そうなんだよ。
そんな簡単には見つからないんだよね。
「好きなもの」。
「生きがい」って言ってもいいかもしんないけど。
と思ったりもするし、「好きなもの」は誰しも既に見つけている、
というか、
持っている、と思ったりもする。
「やってて楽しいこと」。
それがつまり「好きなこと」なんだ。そうとも思う。
それが仕事になるか、つまり稼げるか、とか、格好良いか、とか、世の中の役に立つか、とか、
そういうことを考えちゃうから、迷っちゃうのかも。
人と較べず、世の中の流行や常識に流されず、
自分が素直に楽しめるもの。笑顔でいれるもの。時間を忘れて打ち込めるもの。
それが、「ほんとに好きなもの」。かもしれない。
そういうものって、意外とみんな持ってるんじゃないのかなあ。
それをまずは知ってから、さて、どうしようか。
って考えてもいいんじゃないかしら。
なんて思ったり。
【参照】
» ダーリンコラム「ろくでもなさを許せる世界」 – ほぼ日刊イトイ新聞
» メッセージダイアリー: 毎日ひとつの言葉(メッセージ)について一言書いています。
» 自分にとって意味のあるブログを毎日続ける方法 – シゴタノ!: メッセージダイアリーを始めるきっかけとなったブログ記事
「定食屋であじフライを選ぶか、メンチを選ぶかみたいなことじゃないんだから。」って、言いえて妙だよね。ここでいう好きなことって、『一生付き合える何か』って話だよね。
でも、そもそも好きなことって1つに決めないといけないんだろうか。僕の場合は飽きっぽいから、好きなものってころころ変わるんだよね。定食に例えると、その日食べたいかどうか、って基準が存在するだけで。趣味で言うと、今はカポエィラだけど自転車とか、また再開したいなーって思うし、仕事も夢もいろいろとやりたいことはある。むしろ、はっきりしているのは「やりたくないこと」。やりたくないことのルールに抵触していなければ、なんでもやってみれば良いと思うのだけど、どうなんだろう。
> やりたくないことのルールに抵触していなければ、なんでもやってみれば良いと思うのだけど、どうなんだろう。
うん、やりたくないことでなければ何でもやっちゃっていいと思う、俺も。好きなことは多いほうがいい。
ここで言ってる「ほんとに好きなもの」っていうのは、「命懸けてもいいくらいのもの」って言う風に俺は解釈してた。それが生まれて来た意義だってくらいの。そういうものってのは、そんなにたくさんないんじゃないかなあって。
そういうものを見つけることが出来たら、人生がまた数倍楽しくなるんだろうなあ、なんて。
「命懸けてもいいくらいのもの」ねえ。俺ね、見つけたいんだけど、怖いんだよね。見つけてしまうのが。だってさ、自分の人生が決まってしまうかもしれないじゃん 『それ』が何か分かってしまったら。真我教室。人は何故生まれてきたのか。それを探る教室。半年近く前から気になっているが、いまだ、足を踏み入れることができない。『本当の自分』を知ってしまったら...。きっと大事なものを得る代わりに多くのものを捨てることになると思う。カポエィラかもしれない、自転車なのかも。ひょっとしたら今の自分の全てかも。命をかけられる人生。本心では望んでいても、今の俺にはまだそれと面と向かう勇気はない..。
「自分の人生が決まってしまう」かぁぁ。
そうかもね。それによって捨てなきゃいけないものも確かに出てくるかも。
諸刃の剣だね。見つかったらきっと人生楽しくなる。けど、捨てなきゃいけない部分もある。
んー。
まあ、今が充実していて幸せなら、それでいいのかもね。なんて、元も子もないようだけど・・・。