トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

「原爆投下はしょうがない」と原爆を落とされた国の防衛大臣が発言し、「原爆の使用が終戦をもたらし、何百万人もの日本人の命を救った」と原爆を落とした国の核不拡散問題担当特使が発言する。こういう人達は、本書の写真が伝えてくれているような、原爆の恐怖について何を知っているのだろうか。それを知ったうえで、このような発言がなされているとは人として思いたくはないが、こういう人達は、少なくとも、私のような勉強不足で若輩者より、原爆投下によって何が起こるのか、よく知っているはずだ。

原爆を肯定するような発言は決して許されるものではない、と思ってはいたが、本書を読み、真実を捉えた原爆投下後の日本と日本人の写真を見て、その思いはさらに強くなった。強くなるとともに、切なさとか、悲しさとか、怒りとか、やるせなさとか、そういう色々な感情が沸き起こる。そして、誰かの発言云々をどうのこうの言うより先に、自分自身がまず、原爆が投下された歴史上唯一の国の人間として、それとどう向き合うべきなのか考えなければならないということを、本書の写真から思い知らされた。

「どう向き合うべきなのか」-。そう思いつつ読んでいて心に残った言葉が本書に書かれていたので紹介する。本書の写真を撮影したジョー・オダネル氏が終戦後間もなくの福岡で出会った「奇妙な老人」の言葉である。

「息子のような君に言っておきたいのだが、今の日本のありさまをしっかりと見ておくのです。国にもどったら爆弾がどんな惨状を引き起こしたか、アメリカの人々に語りつがなくてはいけません。写真も見せなさい。あの爆弾で私の家族も友人も死んでしまったのです。あなたや私のように罪のない人々だったのに。死ななければならない理由なんて何もなかったのに。私はアメリカを許しますが、忘れてくれといわれてもそれは無理です」 (P.46)

そして、米従軍カメラマンであったジョー・オダネル氏は、私用カメラで撮影した写真をトランクに入れて持ち帰り、43年後にそのトランクを開ける。

今、私たちにできることは、決して忘れないこと。私たちは、もっと知らなければいけない。そして、忘れてはならないのだ。

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