なれ合い型学級崩壊

 教授によると、なれ合い型の学級崩壊は、こんなプロセスをたどるー。

 年度当初、保護者は「自分の子供は受けいれられている」と感じ、教師との信頼関係が築かれる。だが、内実は先生と個々の子供の関係ばかりが大切にされ、集団としてのまとまりに欠けている。教師は友達口調で子供に接し、子供に善悪を理解させず、曖昧(あいまい)な態度を取ることが多い。

 学級のルールが守れなくても「今日は仕方がない」などと特例を設けたり、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子供側には「ルールは先生の気分次第」という空気が生まれる。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、「あの子がほめられて面白くない」「先生は私と仲良くしてくれない」などの不満が噴出。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなる。

Sankei Web > 社会 > 「なれ合い型」学級崩壊が急増 都市部で顕著(10/13 02:20)

この「なれあい型学級崩壊」は、同じ記事内でも言及されているように「反抗型」よりも圧倒的にタチが悪そう。

「反抗型」の場合、悪いヤツが何人か最初にいて、そいつらが反抗しだして、それがドンドン広がっていって手が付けられなくなる、という状態。この場合、クラスで、その悪いヤツらを中心とした秩序が生まれていて、その悪いヤツらが何らかのきっかけで反抗をやめると、クラス全体に広がって落ち着いていくものです。

対して「なれ合い型」は、中心となる悪いヤツらグループがいるわけでもなく、生徒一人一人が無秩序に自分勝手な言動をし集団生活を送ることのできない自己主張ばかりしだす、という状態。これは対処も難しく、将来社会に出たときの集団生活にも大きな影響を及ぼしかねないものかと思います。

どちらの「型」も教師や学校側に責任のほとんどがある、とは思いますが、「なれ合い型」が最近増加しているというのは、家庭での教育の影響も少なくないのではと感じます。親が気分次第で子供との接し方を変えたり、子供への愛情が足りなかったり、そういう家庭で育ってきた子供が学校で甘やかされ、先生に他の子よりもいいところを見せたい、と思ってしまうとして、それは無理もないことでは。

 「最近の学校は個性重視が説かれ、個に寄り添える教師が増えた。その半面で教師も子供も集団形成や統制が苦手で、学級は集団というより群衆に近い状態になっている」と語っている。

Sankei Web > 社会 > 「なれ合い型」学級崩壊が急増 都市部で顕著(10/13 02:20)

こういう状況になっているのは、教師自身や学校の体制だけが問題ではなく、家庭での教育にも何か見直すべきところがあるはずだし、個性重視という世の中の風潮自体にも問題があるのでは、と感じます。前にどこかで見聞きしたのですが、最近ある学校の運動会のかけっこ競争では、全員一緒にゴールさせるというとんでもなく履き違えた平等教育を行っているそうですが、そういった極端な平等教育も考えものですが、個性個性と言いすぎるのも、考えものなんだなと思います。

子供の教育のために、家庭、学校、地域、全てが当事者という認識の元、親・大人が子供の将来にとって何が必要か・良いことか、それぞれに意見や考え方があるのは当然なので、親・大人同士が自分自身の考えを確固とさせ本気で意見をぶつけ合うということ。それが他ならぬ子供の将来のためになるのですから。

Leave a Reply

Your email address will not be published.

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.