考えは蓄積なしに出してもダメでしょう。
噴火や地震も力が貯まるほど威力が大きいように、小出しにしていても、ダメなんです。
小説を書きたい若い人が多いと聞きますが、
他の仕事をしていた人のほうがいいと思います。
よほど才能のある人は別ですが、タメがないと厳しいんです。
<町田康さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月6日の言葉
アウトプットが大事ってことはこのブログでも書き続けていて、
それは僕自身思いっきり意識していることではありますが、
アウトプットするには、当然かもしれないけど、インプットが必要。
そして、アウトプットとインプットの量と質、というのは、
完璧に相乗効果が期待できるもの。
だと、個人的には思う。
ただ、それには「アウトプットしよう」という意識が大切。
インプットするのって、割と簡単。
本を読む、セミナーを受ける、人の話を聞く、ニュースを見る・聞く、
などなど、インプットするチャンスはいたるところにある。
意識していなくても、五感から入る情報は、
脳・潜在意識が無意識にインプットしている。
インプットは、意識的であれ無意識であれ、
簡単にできる。
対してアウトプットは、意識していないとできない。
人に話す、メモを取る、ブログを書く、メルマガを書く、
なとなど、アウトプットする方法は様々だけど、
そのどれも、それを意識していないと、できないものばかり。
そんでもって、
インプットの量と質をあげる ⇒ アウトプットの量と質もあがる、
と考えがちかもしれなくて、僕自身実際そうだったけれど、
それは僕の場合、思いっきり逆だった。
アウトプットの量と質をあげる ⇒ インプットの量と質もあがる。
今はこっちのほうがしっくりくる。
「量と質」と書いたけど、
まずは「量」を意識することから始めるのが吉。
何でもかんでもアウトプット。
別に、ブログに書く、とかそういう人に見せることじゃなくても、
メモを取るとか、どんな形でもアウトプットすること。
もうそれは、何でもかんでも。
それを意識することで、
インプットしてるときの思考の「姿勢」が変わってくるはず。
「何でもアウトプット」というのは、
「考えは蓄積なしに出してもダメ」「小出しはダメ」
という町田康さんの言葉とは相反しているけども、
これは小説とかそういう大きな仕事をするときに当てはまる言葉である、
と、個人的には解釈している。
個人的には、やはり、「何でもアウトプット」。
ただ、最近はあんまり「アウトプット」していなくて、
それで「インプット」のペースも落ちちゃってるので、
もっともっと意識しなくてはと思う今日この頃。
(最近、「アウトプット」に関するネタが多い気がするな。
「アウトプット」に関する「アウトプット」ばっかしてても、アレだなw)
【参照】
» 町田康さんの経験論! – ほぼ日刊イトイ新聞
» メッセージダイアリー: 毎日ひとつの言葉(メッセージ)について一言書いています。
» 自分にとって意味のあるブログを毎日続ける方法 – シゴタノ!: メッセージダイアリーを始めるきっかけとなったブログ記事