落としたものと見つけたもの

人間は、あんがい、ちょっとずつましになるものだ。
いまの自分がましです、と言うのも
口幅ったいけれど、若いときは、
もっとしょうもないやつだったとは言える。
ダーリンコラム「ろくでもなさを許せる世界」より>
ほぼ日手帳2006 – 2月4日の言葉

去年三十路に足を踏み入れて、案外普通の路じゃん、今までと大して変わらんぜよ、
なんて思ってるしょうもない僕ですが、
10年前に遡ってみると、今よりしょうもない部分があったはあった。かな、と思う。
ただ、今のほうがしょうもないなって思える部分もあるにはある。
大人への路の途中で落としてきたものも、結構あんだよなあ。
けど、落としたものより、見つけたもののほうが多い。
その見つけたもののなかで、見つけなきゃ良かったって思うようなことって、
あんまりないもので。
これからも自分の路をひたすら歩いていくわけで。
その路上で、僕は何を落として何を見つけていくんだろうか。
そんでもって、10年後の僕は今の僕をしょうもないやつだったって、
やっぱり、思うのかなあ。


【参照】
ダーリンコラム「ろくでもなさを許せる世界」 – ほぼ日刊イトイ新聞
メッセージダイアリー: 毎日ひとつの言葉(メッセージ)について一言書いています。
自分にとって意味のあるブログを毎日続ける方法 – シゴタノ!: メッセージダイアリーを始めるきっかけとなったブログ記事

Leave a Reply

Your email address will not be published.

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.