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寒暖の差が激しすぎる件

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さすがにこの寒暖の差には身体がついていかなくなってきている、ような気がする。

昨日(4/21)の東京の最高気温が25度以上の夏日で、半袖でも散歩していると暑くなるくらいだったというに、一転して今日の最高気温は10度を切っている。寒暖の差、15度。しかも今日は東京都内でも雪が降ったところもあったらしい。

4月下旬に雪って。これはもう異常気象と呼んでも差し支えないレベルだ。

日本気象協会(tenki.jp)のこちらのページで、4月の東京の日毎の最高気温グラフを紹介しているけど、そのジグザグっぷりにも驚くし、その振れ幅にはもっと驚く。

これだけ寒暖の差が激しいと、その差に対応するのに色々と困る。

  • 片付けていた冬用ジャケット等の冬服を再度引っ張り出さねばならない。
  • なので、冬用ジャケットをクリーニングに出せない。4月中は冬用ジャケットクリーニング割引!ってなことを近くのクリーニング屋さんでやってるけど、出せない。
  • エアコンの管理に気を使う。うちはペットを飼っているので、部屋が寒すぎても暑すぎでもいけないわけで、昨日暑かったからってエアコンを消したまま寝てしまうと、翌朝の寒さにペット達が負けてしまう恐れがある

と、まあ「色々と」といっても大したことはないのだけど、これが結構大変。

それとこういった細々としたことに加えて、やっぱり体調を整えるのに気を使う。ここ数日の激しい寒暖の差のせいかどうか知らないけど、ここんとこ出来ていなかった口内炎が少し出来始めている。僕の場合、ストレスや身体の疲れがあると、もろに口内炎として出てくるので困ったもんだ。

春はまだか。と言いながら、東京ではもう桜の季節が終わっていることを思い出して、春はもう来ていたってことに改めて気付く。このままだと、心地よい春の季節を飛び越えて、寒い4月からいきなり猛暑ってこともありうる。そうなっても驚かないとは思うけども。

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雨の日のマナー

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スーツを着て出かけるときに限って雨が降る。在宅勤務なのでスーツを着て出かけるってことがほとんどないというのに。そんなことがよくある。

そんなことをツラツラと思いながらスーツを着て電車で出かけた今日、何だかやたら気になることがあった。それは、電車内や駅の階段・エレベーター等での傘の取り扱いに無頓着な人が多い、ということ。気にしすぎ、とは言えないくらい、目につく。

混んでる電車に乗っているというのに傘を丸めてたたまない(周りの人の服やバッグが濡れる)、階段やエスカレーターで傘の先を後ろに向けている(後ろを歩いている人にとがった傘先が向いてしまって、危ない)、等々。

こういうことって、ほんの少しの気遣いで解決することだと思うのだけど、それが出来ない人がこうも多いとは。しかもそういう人の傾向には年齢差とか性別差は関係ないような気もする。それこそ老若男女。とはいっても、当たり前の気遣いを出来る人のほうが圧倒的に多いのだけど、だからこそ、こういう気遣いの出来ない人を見かけると、残念な気持ちになってしまう。

とはいえ、人のふり見て我がふり直せって言葉もある。傘の取り扱いに限らず、自分の何気ない行動が他の人の迷惑になっていないか、出来るだけ気遣っていきたいものである。

明けましておめでとうございます

既に2010年を迎えて1週間経ってしまってますが、気にせず新年のご挨拶をば。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さてさて、さくっと新年の挨拶だけして終わろうかなと思ったのだけど、「このブログを見てくれている人が世の中にどれだけいるか分からないけど多分1人か2人くらいはいると思うなあ」なんてことをふと頭をよぎり、何で僕はこのブログを続けてるんだろう、なんてことを改めて考え始めたので思いつくままに書くことにした。

こういってしまうと何だかとても横柄な気がしないでもないけど、ブログを続ける一番の理由は、読んでくれている人達のためではなく、自分のためなんだろうなと思う。昨年はTwitterが本格的に浸透してきたこともあってTwitterでつぶやくことのほうが多くなってはきたものの、ブログも月に最低1エントリーは書かないと何となく気が済まない、ということで、ちまちまと書いてきた。そうやって月に1エントリーでも書いておくと、あとで読み返すことができる。つまり、このブログの一番の読者は自分自身なわけで、一番の読者としては、最低でも月に一度は記事を書いてもらわないと納得いかないわけだ。

自分自身が自分の書いたものを読むのが好きなら、日頃の日記やメモでも読み返しておけばいいだろう、という気もするけど、それはまた別物。こうやって、公衆の目に触れる場所=インターネットに自分の言葉を残すときには、少なからず気を使うし、出来るだけまともな文章を残したい、という思いも働くので、人の目に触れることのない日記やメモとブログに書く文章とは性質が異なるものなのだ、と考えている。

Twitterも「公衆の目に触れる場所=インターネットに自分の言葉を残す」行為であるにも関わらず、ブログに文章を残すことほど気を使わないのは何故なのか、まだよく分かっていない。多分、Twitterにつぶやくときには、自分をフォローしてくれている誰かに向けてつぶやいてる、という感覚があって、自分のためであるブログとは違って後で読み返すこともほとんどないし、何と言うか文章を残すというよりも発言をする、というイメージに近い。

とまあ、どうでもいいといえばどうでもいいことを書いてしまったけど、これからもどうでもいい、けど後で自分で読み返すのは楽しい、と思えるようなブログを淡々と書いていきたいと思います。

違いを楽しむ

最近は、Twitterでのつぶやきは多いけど、ブログを書く頻度が低くなってきた。Twitterでつぶやいていてもブログもそれなりに書くかな、と思っていたけど、そうでもないみたいだ。ま、どうでもいいっちゃいいんだけど。

そんなわけで、この記事は今年二回目のバンガロール出張の帰途、バンコク空港でのトランジット待ち時間中に書いてる。夜中12時半のフライトでバンガロールを発って、バンコクまでの機内ではほとんど眠れなかったので、何だか頭が重たい。

今回、バンガロール出張も二回目ってことで、前回の滞在でえらい辟易したものすごい道路状況にも随分慣れたようで、あまり気にならなかった。今回の滞在ホテルがオフィスに歩いて行ける距離だったってのが大きい。前回は渋滞に巻き込まれると平気で二時間かかるような場所にホテルがあって、移動だけでかなり体力を消耗していたので。

加えて、自分のなかで何となく気持ちに余裕があったみたいだ。おかげで、「違いを楽しむ」ことが出来た。日本とインドでは、色々なものが違うのは当たり前のことで、その違いをネガティブに考えてしまうと参ってしまう。もともと「違いを楽しむ」タイプなのだけど、前回のバンガロール出張時はあまり気持ちに余裕がなかったせいか、「違い」を変にネガティブに捉えてしまっているところがあったかな、と思う。

「違いを楽しもう」という気持ちを意識して持つだけで、どんな国でも、どんな場所でも、楽しむことが出来る。そんな当たり前のことに改めて気づいた、今回のバンガロール出張だった。

MacBook Pro 13-inch

ここ数カ月悩んできた我が家のIT環境刷新計画に、やっと昨日決着をつけてきた(アップルストア銀座にて)。

その計画のひとつが、昨日連れて帰ってきたMacBoon Pro。13インチの安い方のモデルのメモリを2GB→4GBにアップグレードしたもの。昨晩早速我が家デビューさせてみた。箱を開けるところから楽しめるのがApple製品のいいところ。そういうところにこだわるのが、何だか響くんだな。

色々と設定したり、ソフトをインストールして、快適に使い始めている。購入を検討するにあたって、一番気になっていたテカテカ光沢液晶だけど、家の照明なんかが派手に写りこんでいなければ、そんなに気にならない。というか、気になっても「気にしない気にしない」と自分に言い聞かせてる。そうしているうちに少しずつ慣れてきて、今は写りこみよりも画面の奇麗さのほうに気を取られている。なかなか綺麗だ、この画面は。

今回の計画のなかで、ノートブック端末をどうするか、というのがとても悩みどころだった。Windows 7搭載のモデルも発売開始されたし、Acer Timeline辺りが気になっていたので、昨日アップルストアに行く前に有楽町ビックカメラでWindowsノートブックを見て触って回った。結果、予想通りというか何というか、普段プライベート用として所有する「モノ」としての魅力を、各社Windowsノートブックからは感じなかった。これは完全に個人的な感覚で人それぞれだとは思うけど、僕の場合はApple製品のほうがデザインを含め所有する「モノ」としての魅力を強く感じた(ちなみに仕事用のPCはThinkpadが一番のお気に入り。現在仕事用で所有しているのは、Thinkpad T500。)。

正直、Snow LeopardかWindows 7か、というOSやソフトの違いは僕にとってはあまり重要ではない。僕がやりたいと思うことは、どちらのOSでもほとんど実現できるので。そうなると、やっぱり決め手となるのは、所有する「モノ」としての魅力なわけで、多少の価格差なども僕の場合は検討材料とはならない。「モノ」と言っても、「ハードウェア」のスペックとかそういうものを意味しているわけでもなく、かといって「デザイン」だけの話をしているわけでもなく。何というか、うまく説明できないけど、それを持っていたいかどうかという感覚的な話なわけで、今回は色々と見て触ってみた「モノ」のなかで、プライベートで家族みんなで使うノートブックとしてはMacBook Proが僕にとって一番魅力的だったということ、なわけです。

そんなこんなで、我が家にきたMacBook Pro。長く付き合っていけそうだ。

選挙の結果が出る

8/30 20:00を過ぎた。

早速、「出口調査」ってやつの結果が出ていて、民主党が圧勝=政権交代が確実だって。しかも与党は過半数割れ。

何だかなあ。何とも言えないなあ。何とも言えない・・・。

個人的には、鳩山さんが総理大臣になるっていうのが、どうもイメージがわかない。特に外交面で、鳩山さんがオバマ大統領と会談している姿とか、想像できない。んん。

民主党のマニフェストはまだきちんと読んでいないからあまり色々とは言えないけど、マニフェストをまともに読んだことのない僕でも、「高速道路原則無料化」っていうある意味刺激的な民主党のマニフェストのひとつはさすがに知っている。が、自動車の使用を促すような、エコと思いっきり逆行するような、この政策の意図・意義が個人的には全くもって理解できない。むしろ高速道路代は高くしてもいいと思うのだけどなあ。そして、自転車用の設備・環境をもっともっと整える。そういうことだったら、理解できるのだけど。

はあ、それにしても民主党圧勝かあ。どうしてここまでの圧勝になったんだろうなあ。んん。

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息抜きにブログを書く

「息抜きにブログでも書いてみるか。」

何てことを、何となく思ったので、書いてみる。

7月に入社した会社のトレーニングでUSに3週間行って、帰ってきてから3週間程経って、何だか徐々に忙しくなってきた。USとの時差があるなかでの仕事を、しかも自宅勤務でやっているので、どうもメリハリがない。特に気持ちの面で、常に仕事のことを考えている、というか気になっているので、何だか気持ちが休まらない。

そんななか、ここ最近、腹のゆるみも気になってきたこともあって、ジョギングを始めてみた。大体5Kmを30分くらいでのんびり走る。いい運動 + いい気晴らしになるので、これはしばらく続けてみようかなと思っている。

というわけで、走ることでかなりストレス解消にはなっていると思うのだけど、何となくまだ、気持ち的な息抜きが出来きれてないなあ、なんて感じている中、ついさっき、ふと気付いたことが。

多分これは、頭の使い方の話なのかも。つまり、仕事が忙しくなってくる中、頭を(又は脳を)フルに使う場面が仕事のことばかりで、他のことに頭を使っていないのが良くないのではないか、と。身体は走ることでリフレッシュしているけど、頭のリフレッシュが出来ていない。頭のリフレッシュといっても、何も考えない時間を作ったり、映画観たり、というのも必要かと思うけど、それよりも仕事以外のことで頭を使う、つまり考えることが頭のリフレッシュ=息抜きになるのではないか。

ブログの記事を書く、というのはそれなりに頭を使うことなので、いい息抜きになるような気がする。それ以外にも、さらっと流し読みできないような本・小説を読む、なんてのもいいかもしれない。

仕事で忙しい時こそ、仕事以外で頭を使う・考える、ということが大事なのかもしれない。きっとそうだ。

シリコンバレーに行ってきた

3週間のシリコンバレー出張から帰国したのが一昨日の日曜日。久しぶりのアメリカ出張、しかも3週間という比較的長期滞在のためか、時差ボケがひどい。今日になっても、まだ身体と頭がふわふわした感じがしている。

アメリカには、以前にいた会社で何度か出張に行っているが、シリコンバレー界隈への出張は今回が初めて。とは行っても、シリコンバレーの象徴的なGoogle CampusやAppleのオフィスからは少し離れた場所に僕の会社のオフィスがあったので、それまで何となくイメージしていたシリコンバレーに行ってきたっていう感はあまり強くない。CISCOのオフィス界隈は車や自転車でよく通ったのだけど。

まあ、シリコンバレーにせよ、以前に何度か行って数か月滞在していたLAにせよ、やっぱり個人的にはアメリカに滞在すること自体には、あまり興奮しないのだよなあ。そこで出会う人達とのふれ合いというか、関係というか、そういうものは楽しいし大切なのだけど、アメリカ滞在そのものが楽しいかというと、そうでもない。多分、まだ僕がアメリカの自然の雄大さを感じられる、グランドキャニオンやヨセミテ等に行ったことがないからだとは思う。

というかあれだ、アメリカは危険だし車がないと動けない、っていうのが一番いやだ。

アメリカに比べると、以前行ったマルタやイスラエルのような歴史のある国のほうが楽しい。行きたい、と思える場所もたくさんある。あと、そういった国では食事も美味しいし。これかなり重要。それらの国も車がないと動けないっていうのは同じだけど、けど危険ではないし。イスラエル行った、っていうと「危険じゃないの?」ってよく聞かれるけど、個人的にはアメリカのほうがよっぽど危険な国だ。

それにしても、アメリカに憧れる日本人って今でも多いのだろうか。日本のほうが住みやすいけどなあ、個人的には。日本に比べれば、アメリカのほうが色々な意味でオープンで、チャレンジし甲斐もあるのかもしれないけど、だからといって、日本にいたらオープンな文化の会社でチャレンジングな仕事ができない、というわけでもないし。

まあ、そんなことを言っても、シリコンバレーのようなクリエイティブな人が集まるクリエイティブな場所は、日本ではまだないのかもしれない。あるかもしれないけど、シリコンバレーのように象徴的な場所は、少なくともない、多分。そういうクリエイティブな場所で勝負している会社のメンバーとして働けるというのは、僕にとってはとても良いことなので、アメリカについて云々言うのは、もうやめにしよう。そうしよう。

考えるということ – 「思考の整理学」

前から気になっていた本著を今日ふと立ち寄った本屋で目に入ったので買って読み始めた。

まだ半分程度までしか読んでいないが、かなり面白い。詰め込み式教育の人間を「グライダー」、創造的人間を「飛行機」として、詰め込み式教育で育った「優秀な」人間というのは、実は自分で飛ぶことのできない「グライダー」だと説いている。そして自分でエンジンを持ち飛ぶことのできる「飛行機」な人間は創造的で、ときに学校教育等では異な扱いを受けると。

読み進むにつれて、「考えるということ」が一体どういうことなのか、再考させられる。本当に人間として優秀な人間というのは、ただ詰め込まれた知識からただ問題を解くことができる人間ではなく、問題が何なのかを自分で見つけ出し解決することができる、という。前者が「グライダー」、後者が「飛行機」というわけだ。日本の教育を受けてきた人は、どちらかというと「グライダー」的な人が多いのではないだろうか。僕自身もどちらかというと「グライダー」タイプなような気がするので、出来るだけ自分のエンジンで飛べるように日々意識して考えて、行動していきたいものだ。

本著では、上記のような話から、「忘れること」による思考・アイデアの熟成や、「つんどく法」なる読書法も紹介されていて、非常に興味深い。定期的に再読したいと思える、僕にとっては久々の名著だ。

体調悪

先週、一週間の休みを取って、仙台→福島と東北ツアーに行ってきた。愛車のCUBEに、犬三頭と奥さん、そして僕がぎっちりと乗り込んで。久々にみんなででかけることが出来た。楽しんだ楽しんだ。

ただ、今回のツアーは楽しみつつも体調と闘うツアーでもあった。特に腰痛。昨年5月にぎっくり腰をやって以来、腰痛に悩まされているのだが、今回長時間運転が堪えたのか、仙台滞在二日目辺りで、またぎくっとやってしまった。といっても、かろうじて歩ける程度(昨年やったときは数日歩くことさえ出来なかった)だったので、まだ何とか出かけることができた。

そんなこんなで、楽しみつつ腰痛と闘いつつ、先週末に帰宅したのだが、それから疲れがどっと出てきたようで、腰痛に加えて、口内炎、そして頭痛が続いていて、もうたまらん。

口内炎は数ヶ月、調子の悪いときは数週間に一度の割合で、でかいのが何個もできて苦しむのだが、今回はそれに加えて腰痛、頭痛が重なっているので、精神的にかなり参っている。倦怠感的なものも身体全体を覆っていて、そのせいで余計気持ちが落ちるのか、気持ちが落ちているから倦怠感が余計深いのか、何だかよく分からんが、とにかく、ずーーーん。

そんなこと言いつつ、今週一杯で今の会社を辞めて、来週から新しい会社での仕事が始まるので、片付けやら準備やらでテンヤワンヤなので、ゆっくり休むことも出来ず・・・。もう仕方ない身体と頭をフル回転させて生産的に過ごしながら回復させていくしかないなこれは、と腹を括ってみた。そしてその決意を一ヶ月更新していなかったこのブログで書いてみたという次第で、つまり特に内容のないエントリーなのでした。