なくなったらさみしいもの
なくなっても、 生きるのに困らないものをつくっていますが、 なくなったらさみしいと思われるものを、 つくりたいと思っています。 <糸井重里がその昔、どこかで言った言葉> ほぼ日手帳2006 – 6月11日の言葉 なくなっても困らないだろうけど、なくなっちゃうとさみしい、っていうモノって意外と身近にあったりするような。そういうモノには多分、色んな感情・思いが詰まっていて、きっとソレがなくなるのがさみしいんだと思う。 そんなモノに囲まれて暮らしたい、できれば、そんなモノをひとつでも作り上げてみたい、そう思いながらまたひとつ、なくなっても生きるのに困らないけど、なくなっちゃったら寂しいモノを見つけた。このブログがまさにそうだ。僕個人にとってはだけれども。
Only is not Lonely
Only is not Lonely. みんなが本人として、生きる。 みんながほんとうは他人を理解しえないと知る。 だからこそ、親切は生まれる。 <ダーリンコラム 「また、Only is not Lonely.のこと」より> ほぼ日手帳2006 – 6月6日の言葉 “Only is not Lonely”は、ほぼ日刊イトイ新聞の根っこの言葉。とてもいい言葉です。 「Only」でいることは「Lonely」ではないのだ。 「Only」でいるからこそ、人の心を知ろうすることができるのだ。 ≫ Only is not Lonelyについて ≫ また、Only is not Lonely.のこと
歴史は弱者によって作られる
これまでの地球上の生き物の歴史というのは、 まさしく「敗者たちの歴史」なんだよなぁ。 いつでも、次の世代というのは ある時代に取るに足らない存在であった「弱者」によって つくられていく。その繰り返しなんだよなぁ。 <ダーリンコラム「十字架というアイコンのすごみ」より> ほぼ日手帳2006 – 5月25日の言葉 今回のダーリンコラムはとても興味深くて、奥深い。そして、ちょっと難しい。 ただ、「弱者」や「敗者」が歴史を作ってきた、っていうのには勇気がわくような気がする。
フィードバック頂戴
ひとりでコツコツものをつくっていることも、ものすごくいいけど、 ほんとは、誰かがそれにほめてくれるとか、突っ込んでくれるとか、 他人がいるおかげで、おもしろいものなんだと思うんです。 僕の場合、そういうことがわかってくると、 どんどん、自分のやることが、まわりに受け渡せるようになった気がします。 <糸井重里さんが『おもしろ魂!』の中で> ほぼ日手帳2006 – 5月15日の言葉 自己満足も悪くはないけど、やっぱり人に褒められたりコメントしてもらったりしたほうが、楽しいわけで。いいことばかりじゃなくても、悪いことでも、何かしらのフィードバックがあるから、楽しい。 そんでもって、フィードバックを得るためには、とにかくアウトプット・表現しないと始まらない。自分のやったことをなんでもかんでも表現していく。ブログを始めるときのモットーに、今更ながら立ち返った次第。 ちなみに、このブログのモットーとしている「継続・公開・実行」は↓を思いっきりパクってます。 ■継続は力なり[2004-05-08-4] 私のWeb日記みたいにしょうもない内容でも10年近く続けてるとそれだけでポジティブに評価されたりすることもある。たいしたものじゃないと思ってもとりあえず続けてみると吉。 ■既出を恐れるな[2004-11-19-5] こんなアイディア、誰かもうすでに考えてるだろうな、なんてことを気にせずにどんどん公開していけば何かが見えてくるかも。たいしたアイデアじゃないと思ってもとりあえず言及しておくと吉。 ■やればできる やればできる系、らしい。たいしたことじゃないと思ってもとりあえずやっておくと吉。 [を] 継続・公開・実行 – たつをの ChangeLog
コトバ
心臓をどきどきさせることも、 徹底的にやる気をなくさせることも、 涙を止まらなくさせることも、 笑いを呼び込むことも、 クスリでは難しいことでも、コトバならできる。 <ダーリンコラム 「ほんとにコトバはクスリだと思った」より> ほぼ日手帳2006 – 5月12日の言葉 ブログのように文章になったコトバは、話し手の表情や声あるいは気持ちの調子が見えない分、読む人によって色々な捉え方がされる。読む人のそのときの調子によって、同じコトバでも違う影響を与えてしまうこともある。コレはもう、書いている側にはコントロールしきれないところだ。だからといって口は閉ざさず。アウトプットしたコトバがどんな捉え方をされようとも。素直に正直に、自分のコトバで、ブログを続けていくとしよう。