Monthly Archives: August 2006

「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツ

いちばん「これ、いいなぁ」と思ったのは、
ともだち同士で遊ぶときに「あいつ、呼ぼうぜ」
と言われる存在、というやつなんです。
糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
ほぼ日手帳2006 – 8月31日の言葉

「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツになるには、どうしたらよいんだろか。
というか多分、「あいつ、呼ぼうぜ」と言われるアイツは、そんなことは考えていない。
というわけで、深く考えず、今のままで、いいんだよ。

悩んで動いて、また悩んで

考えてもしょうがないことに悩むんですよ、人って。
悩んで解決するなら悩めばいいですけど、
悩んでも解決しないし、悩んでも得るものがないものを、
人間って考えてしまうんですよね。
<任天堂社長・岩田聡さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 8月29日の言葉

そうなんだよなあ。
悩んだってしょうがない、ってことを人間はよく知っているし、悩んで解決するわけない、ってことも知っている。それでも悩んでしまう。考えてしまう。そして、悩みを解決する方法も人間はよく知っている。それは、動くこと。頭の中で悶々考えていても何も変わらないけど、その悶々を少しでも行動に移していくことで、悩みはクリアになっていく。
それに、動くこと、というのは、悩みを忘れることにも効く。悶々思い悩んでいても仕方ないことを分かっているのであれば、直接その悩みの解決につながる行動じゃなくても、とにかく動くこと。運動してもいいし、読書してもいいし、遊び出かけてもいいし、とにかく、その悩み以外のことに頭と身体を使うこと。そういう動きのなかで色々な発見があったりして、思い悩んでいたことがとても小さなことに思えたりすることも、あったりなかったり。
そんでもって悩むときは思いっきり悩む。腹括って思いっきり考える。常日頃、何となく頭に引っかかっていて悶々しながら過ごすよりも、普段はほかの事を思いっきりやって、そして寝る前とかに座禅組んで思いっきり考える。どうせ悩むならそうやって思いっきり向き合うといい。
なんてことを思いながらも、僕自身、普段から悶々しちゃってそれが取れないときもしょっちゅう。人間の頭ん中は、そんな簡単にメリハリつけることは出来ないようになってるのかもしれない。けど、あえてそのメリハリを自分のものにしようと挑戦し続ける今日この頃。

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言葉の真意

「今は、人にあんまり会いたくない」
と言っている人のところには、
ときには行ってやらないと、ね?
<萩本欽一さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 8月28日の言葉

「今は、人にあんまり会いたくない」なんて言われたら、僕の場合、言葉のまま受け取って、そっとしておくべき、って思ってしまう。一人で考えたいって本気で思っている人もいるだろうしね。
けど、「今は、人にあんまり会いたくない」なんて、あまりにも寂しい言葉であるのもまた真実なので、そういう人にこそ会いに行くべき、なんだろうなあ、多分。
相手の言葉を、文面どおりに受け取って、いいときもあればそうでないときもある。それを判断するのは付き合いが深い深くないに関わらず難しいこと、だけど、だからこそ、人との関わり合いは面白いし生きてく上で不可欠なもの、って言えるんだろうな、なんて思った。

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無制限に夢を描け

こどものころ、末は大臣か大将かという言葉がよく言われていたけど、
ぼくはそのときでも、とても卑しい言葉だと思っていた。
なんで夢という広いものを、大臣とか大将という野心的なものに
限定しなければならないのか。
<岡本太郎さんの言葉
 『TAROのひとこと』より>
ほぼ日手帳2006 – 8月27日の言葉

よくよく考えてみると、こうやって限定した夢や目標を親や大人が子供に言ってしまうのは、とっても危ないこと。ただでさえ言葉の持つ力は侮れないのに、子供の頃にそういう限定した言葉を多く聞いてしまうと、知らず知らずのうちに描く夢や目指す目標も限定されてしまうんじゃないだろうか。
かといって、親や大人が全く何も示さない、というのも、それはそれで問題があるような気もする。では、親や大人が子供に出来ることってなんだろ、って考えると、多くのことを見聞きできる、経験できる、考えることができる、そういう場を出来るだけ提供してあげること、なんじゃないかな、と思った。そういうなかから、子供は自分なりの考えで夢や目標を描いていけるのではないだろうか。
なるべく多くの選択肢のなかから自分なりの考えで自分なりの道を見つけていく、その手助けをするのが教育なんじゃないかな、なんて思ったりした。「教育」というテーマはそんな簡単に結論づけれるものではないとは思いつつも。

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文庫本24冊分の一日

人が朝起きたところから目に映ったものを文章化すると、
一日で文庫本24冊分になるのだそうです。
だけどほとんどの記憶が捨てられることになりますよね。
捨てられないで残っているものは各自のデータベースになっているわけですけど、
それはシェアしておいたほうが企画力があがるでしょう?
<TSUTAYA社長・増田宗昭さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 8月25日の言葉

僕のほぼ日手帳の日別ページは、その日の行動記録と日記で使われている。スケジュール管理はGoogle Calandarを利用。
ほぼ日手帳の日別ページは結構なスペースがあり結構な文量が書ける。今読み返してみても、今年一年の行動記録と思いがぎっしり詰まっていて、ちょっと人には見せられない。ほぼ日手帳以外にも、常に持ち歩いているMOLESKINEにアイデアや思ったことが記録されていて、こういった日々の思いをこぼさず残しておくことは、きっと大きな意味を持ってくるんだろうな、と思っている。
そういう日々の記録・記憶を我ながらよく残しているほうだな、と思っていたのだが、今日の言葉を読んで、まだまだまだまだ足りないということに気づいた。文庫本24冊分といったら相当なページ数・文量だ。これは決して大袈裟な数字ではない。日々見たこと聞いたこと思ったことを漏らさず記録したら誰でもこれくらいにはなるのでは。
しかもその文庫本24冊は、毎日違う内容のものになるはず。人生というのは、こんなにも多くの新しいイベントと感動の連続なのである。そのひとつひとつを漏らさないということは、その一瞬一瞬をムダに過ごさない、というのとほぼ同意なのでは、と個人的には思う。

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仕事で本当に大切にしたいこと―自分を大きく伸ばすために by 大竹美喜

仕事で本当に大切にしたいこと―自分を大きく伸ばすために
大竹 美喜
かんき出版 (2004/06)
売り上げランキング: 28,043

「努力するしかない」
 というシンプルな答えでした。
「努力なら私にもできる」
 そう思ったのです。(P.85)

著者の大竹氏は、アフラックダックのTVCMでもおなじみの生命保険会社「アフラック」の日本創業者。「がん」に対しての保険を日本で初めて事業としてスタートしました。当時の日本での「がん」に対する認識は、口に出すのも忌まわしいとされていて、がん患者が出た家系というだけで娘が嫁に行けなくなるといわれたほどで、がんを患っていても病名を隠すような時代だったらしいです。そんな時代に始めた「がん保険」を世間に定着させ、そのうえ事業として成功させた、というのは並大抵の努力で為しえるものではない、というのは容易に想像できます。
そんな大竹氏が「仕事で本当に大切にしたいこと」として様々な考え方を紹介している本著からは、「しっかりと夢をイメージして、それが実現するまでひたすら努力すること」という氏の思いがひしひしと伝わってきて、読んでいて背筋が伸びます。
なかでも個人的に響いたのが冒頭の言葉です。学歴や職歴で人生が左右されるとは思いたくないし、人生の「運」をつかんでいくのは「どれだけ努力したか」によるべきです。先日「脳」整理法の読書感想文でも書いた「セレンディピティ」という概念でも言われているように、努力(行動)するからこそ、「運」(「脳」整理法でいう偶有性)に出会い、つかむことができる。ということはつまり、どんな人でも、学歴が低くても職歴が自慢できるものでなくても、今からでも行動して努力さえすれば、人生を変えていけるということです。

「運」という感じの成り立ちを調べると、「軍」という字との関連が書かれています。「運とは「軍を進める」という意味で、戦いの中で手にするものなのです。
 戦えば命を落とすかもしれません。そこから「運命」という言葉が生まれました。そして、命を落とさないようにするためには、命がけで戦って、運をつかみ取らなければならない。運とは偶然に手にするものではないのです。
 だから、運をつかむには努力が必要なのです。運は、人の倍、十倍、あるいは百倍もの努力をして勝ち取るものです。(P.84)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる by 梅田望夫

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
梅田 望夫
筑摩書房 (2006/02/07)

現在、ウェブ(ネット)の世界がどうなっているのか、そして、これからどこに向かおうとしているのか、グーグルの脅威と可能性についての記述を主として、その他現在重要なキーワードとなっている「ロングテール」「Web2.0」「Wisdom of Crowds」等々について網羅的に議論されている。本著を読めば、この10年で大きく変化し、さらにこれからも変化しようとしているネットの世界について、一通り理解できる。ブログやSNS等についての記述も興味深い。
普段、ネットの世界に浸かっていることが多い僕としては、そのキーワードや起きている事象そのものについて既知のものも多く、世の中ってこんなに変わってんのかぁ、なんてことは改めて思ったりはしなかった。多分乗り遅れてはいないんだと思う。ただ、ひとつひとつの事例をシリコンバレーの歴史等も時々ふまえながら議論されている本著を読むことで、乗り遅れていない人達ともっとちゃんと会話ができるようになるな、という感じはした。
個人的には、

「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣のミッションなんだよね」(P.15)

というグーグルのとてつもないミッションを知っても、「そんなことできるわけない」とは思わず「グーグルならやれそう」って思えた。そう思えたのには色々な背景があるが、特に、本著でも書かれている「Google Earth」というとんでもないソフトを仕事柄使うようになって、そのトンデモナサに脅威すら感じたというのが大きい。地球上全ての衛生写真が自分のPC上で見れてしまう。使ってみるとわかるが操作感も絶妙で、あたかも地球上を飛び回っているかのよう。こんな驚異的なソフトを、さらっと無料で提供してしまう(*1)グーグルなら、何でも出来てしまうのでは、と本気で思える。
多分、今の時代は、ほとんどの人がネットの世界と何かしらつながって生活していると思う。そのネットやウェブは、今やただ便利なツールというだけではなく、個人の生活・考え方からビジネスや世界のありかたにまで、大きな変化をもたらしている。近い将来、その変化は常識になっていくことは間違いなくて、その大きくて急激な波に飲み込まれないように、本著のような良書から正しい情報を得ておいても損はないと思った。
*1 より機能が充実している有料アカウントもある

人づきあいはわずらわしい

人づきあいのわずらわしさも、抱え込む。
これは、あとでものをいってくるんです。
「こどもを車で送っているオレのほうが
 絶対にかっこいい」と思う。
<矢沢永吉さんの言葉
 『ほぼ日刊イトイ新聞語録』より>
ほぼ日手帳2006 – 5月13日の言葉

人づきあいのわずらわしさ、会社での人間関係とか、特にわずらわしい。
けど、これをわずらわしいからといって、おろそかにしすぎても、それはそれで良いことないな、ということに最近気づいた。むしろ、面倒だな、と思いながらも、そういう人づきあいを受け入れることで、新しい発見があったりする。
というか、せっかく出会ったのに会社での付き合いなんて面倒、なんてハナっから思い込んでいた今までの自分が何て小さかったことか。どんな形での出会いでも大切にしていかないと、きっとあとから後悔する。
そんでもって、矢沢永吉さんの言葉、『こどもを車で送っているオレのほうが絶対にかっこいい』には個人的には大賛成。

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