Monthly Archives: March 2006

いま

日めくりカレンダーを一枚ずつめくっていくように、
毎日が過ぎていくのですが、
昨日と今日、今日と明日、昨日と明日、
みんなつながっているんですよね。
『今日のダーリン』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月31日の言葉

かこ、いま、みらい。
つながる時間のど真ん中が、いま。
いま、この瞬間は、もう、かこ。
さっきまでみらいだった瞬間は、もう、いま。
いま、と思っていても、それはすぐにかこになる。
いつかそのうち、と思っていたみらいも、
すぐにいまになる。そしてかこになる。
僕らは、いまを生きている。
その「いま」に乗り遅れないように、
「いま」を楽しんで精一杯生きること。
僕らにできるのは、それだけ。

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いいかげんにやる

いいかげんにやっていい感じにしあがると、
いい感じなんです。
ヘタに細かくやると、なんか、気持ちが悪い。
<祖父江慎さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月30日の言葉

いいかげん、っていうと、何となくあまり良いイメージがわかない。
けど、いいかげんっていうのは「いい加減」ってことで、
程よい加減で何かをしていることってのは、
自分で自分をコントロールできているってことだと思うので(無理やりか?)
いいかげんってのは、いいことだと、僕は思う。
いいかげん、にやらないと、
細かい部分を気にしすぎて、必要以上にやりすぎちゃったり、
おおざっぱすぎて、何か抜けがあったり。(いいかげんとおおざっぱ、ってのはべつもの。)
ちなみに、このブログも、「いいかげん」にやってます。
だからこそ継続できてるんだと思ったりもした。

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みちをまげる

国道を走っているタクシーの
運転手に向かってともだちが一言。
「そこの道を右に曲げてください」
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月29日の言葉

人間には想像力ってもんが備わっていてですね、
「道を曲げる炊くしードライバー」っていう姿を想像するとですね、
何ともシュールな映像が頭に浮かぶのは、
僕だけですか。そうですか。

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美しいたたずまい

美しいたたずまいが
大事だということを、
どこかで心得ていさえすればいいのです。
<比較経済史学者の川勝平太さんの言葉
『ほぼ日刊イトイ新聞語録』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月28日の言葉

「美しいたたずまい」
いい響きです。
どんなものでも「たたずまい」が美しいものには、
目がひかれて、心が奪われる。
例えばそれは絵画であったり、
雰囲気のある映画の中の俳優さんだったり。
「たたずまい」という言葉は形のないものにも使えるもの。
美しいたたずまいの音楽。
美しいたたずまいの生き方。
んー、何か素敵。
そういえば、僕の相棒 – Bianchi Passo 06 – のたたずまいも美しい。
「当たり前」
Bianchi Passo '06

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浮き沈み激しく生きる

人間はやっぱり、
自分のやったことをほめてくれたり
よろこんでくれたりする人がいないと
木にはのぼらないと思うんです。
<任天堂社長・岩田聡さんが『社長に学べ!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月27日の言葉

僕はどちらかというと、
ほめられて伸びるタイプ。
ほめられると、どこまでものぼっちゃいます。
たたかれると、どこまでもしずんじゃいます。
けど、しずんでもちゃんとのぼってきます。
というか、これは最近気づいたんだけど、
たたかれて沈んだあとのほうが、
時間はかかるかもしれないけれど、
ほめられたときより、さらに高みに行っちゃってる、気がする。
たたかれた反動、みたいなもんが働いてんのかな。
割と打たれ弱い僕としては、なかなか素敵な発見をした、と思っている。
とはいえ、一番高みに行っちゃうのは、
やっぱりよろこんでもらえたとき。
特にこうやって細々とでもアウトプットし続けている
このブログを読んでくれた人に少しでも役に立ったと言ってもらうと、
もう天にも届くかってくらいの勢いでのぼっちゃいます。
のぼったりしずんだり、またのぼったり。
そういうアップダウンな人生は、むしろウェルカム。

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今、何してんの?

人生、人生と言いだす人は、
人生という架空のものをしゃべっているんですよね。
自分がいちばんのめりこんでいるものをしゃべるだけですが、
将棋なら将棋、小説なら小説しかしゃべっていないほうが
むしろ人生に近いんじゃないかなぁ。
<保坂和志さんが『経験論!』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月26日の言葉

「人生とはなんぞや」
「幸せな人生とは」
とか、そういうことを僕も考えちゃったりするけど、
(特に自己啓発本とかを読んだあととかw)
つまりそれは、
「いま」「ここで」「何を」しているか、
っていうことなわけで、
人生自体に意味を求めても、しょうがないのかな、
なんて思ったり。
「今、何してんの?」
そんな自問自答をしながら、暮らしていくとしよう。

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ばかです

花粉と春っぽい気候でぼーっとしちゃうね、
この間なんてぼーっとしすぎて、
目覚まし時計を洗濯機に入れて
洗濯しちゃった俺です!
げへっ!!! バカです!!
『ぼーっとしたミーハー通信。』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月25日の言葉

僕は花粉症はもってないのですが。
この間、ぼーっと自転車に乗っていたら、
20分くらい走って様子がおかしいことに気づき、
冷静になったら、
目的地とは逆方向に5Km近くも行ってしまっていた。
ばかです。
けど、自転車に乗るのは好きだから、いいんです。
目的地に辿りつくために自転車に乗る、っていうよりも、
自転車に乗ること自体に喜びを感じる、今日この頃です。
「あ、そう」
Bianchi Passo '06
(・・・・。)

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リミットを設ける

ぼくの場合は、「いくら使ってもいい」となると、
考えられないんです。
「・・・・もうこれしかない!」
というときに出てくるのが知恵だと思っていまして。
<テレビマンの三宅恵介さんが『おもしろ魂!/a>』の中で>
ほぼ日手帳2006 – 3月24日の言葉

リミットがあると、人間って知恵を搾り出しやすくなる、と思う。
この予算内でいかにいいものを作るか、
この期限内でいかにいいものを作るか。
今まで関わったプロジェクト・仕事なんかでも、
「予算があんまりない」プロジェクトや、
「いきなり話がきて、しかも期限がすぐそこ」っていうプロジェクトや、
そういうのが結構あって。
じゃあ、どうやってこの問題を解決しよう、
って思いっきり知恵を働かせて解決策を見つける。
結果的に、シンプルでいいものができたりする。
これは仕事に限らず個人的なことにも言える、と思う。
ただ、個人的にやりたいことに対して、
リミットを設けることって、あまりない。
お金のリミットっていうのは、
もしかしたらあるかもしれないけど、
そのリミットを設定してしまった時点で、
もうあきらめちゃったり。
「何かやりたい」って思うことがあって、
時間のリミットを設けないもんだから、
いつまで経ってもやらない。
仕事では限られた予算・時間でいいもの作ろうと知恵を絞りだすのに、
個人的なことに対してそれをしないっていうのはもったいない気がしてきた。
お金の場合、手元にある金額を元手に
いかにやりたいことを実現していくか。
時間のリミットっていうのは、
意識して設けていくべき、と個人的には思う。
知恵っていうのは待ってても出てこない。
ただ、出てくるように仕向ければ、
必ず出てくる。
お金と時間のリミットを設けて、
「んで、どうやって解決しようか?」って自問自答。
それだけで、人生もっとシンプルに楽しくなる、と思う。

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マッスル行く

先日、友人とふたりでいたときの、
友人の言いまつがいです。
女性に道を聞かれて友人が説明をしていました。
「そこなら、この道をマッスル行って、
 突き当たりを右ですよ」
『言いまつがい』より>
ほぼ日手帳2006 – 3月22日の言葉

人間には想像力ってもんが備わっていてですね、
「マッスル行く」っていう姿を想像するとですね、
何ともシュールな映像が頭に浮かぶのは、
僕だけですか。そうですか。

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